オカルト

和田アキ子はいつ頃から『あの鐘を鳴らすのはあなた』の歌詞を変更したのだろう。
YouTubeの動画やSpotifyなどの定額配信サービスの音源を確認する限り、わたしの中に大きくクエスチョンマークが浮かび上がる。
一つずつ仮説を立てて解こうにも、疑問符は無数に分かれ、乱雑な群れを成して襲いかかる。

これは、と禁忌に手を掛けようとしてからは、確実な経路をここにまとめる直前まで、光明はばらばらにしか見えなかった。


わたしにとって『あの鐘を鳴らすのはあなた』とは、物語である。
以前の『ナラティブ』に通じるだろう。
単に完結した作品を歌うのではなく、歌詞を借りた叙情詩へと仕立てるのである。

出だしのメロディを合わせようとして声は震える。
喉を絞らずに発声ができたならば、少しずつ、少しずつ、音量の制限を緩めていく。
そうして横に座る面影は「……三、はい」と合図を送る。

町は今 眠りの中
あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな 悩みの中
あの鐘を鳴らすのはあなた

一角で、ホールで、店内で、一室で。
壮大に響かせる。

始まりは急性期患者が入院する閉鎖病棟での作業療法だった。
各々、病状の経過と体調の管理に努めて、余暇も含めるその日のOTの時間がカラオケだった。
わたしは入院して一週間と日も浅く、部屋でぐうと寝ているところを唐突な呼びかけで参加が決まり、かつカラオケのレパートリーなんかも整っていないため選曲に迷っていた。
何を歌おう。
寝ぼけた頭を起こしては、フラットファイルでまとめられた手作りの選曲集をその手に取って悩みに悩む。
唯一歌えそうな田端義夫の『島育ち』を選び、何とか皆の前で披露できた。

一時間を予定する閉鎖病棟内での活動は、「希望者は二曲目もどうぞ」と作業療法士の声掛けに従って、またまたピンク色のファイルが回ってくる。
そこにはもちろん電気グルーヴもサカナクションも載っておらず、さらに時間をかけて悩んでいた。
「何を歌うの」
二曲目を歌い終えた一人の女性が話しかけてくる。
確か名前はモトキさんと言っただろうか。
この人はカラオケがとても好きな人なのだろう、と他の曲でも一緒になって口ずさむ様子から読み取れた。
「何を歌えばいいのか……」
「ほら、歌いたい歌とかは」
厚みのないファイルを往復して、ある箇所で手を止める。
「この曲を歌いたいんですけれど。一緒に歌いませんか」
「ああー。オーケー、いいよ」

わたしが『あの鐘を鳴らすのはあなた』を選ぶ時、傍らには急性期病棟へ入院した当時に歌ったという残像が重なっている。

後に二年ほど通った就労支援B型事業所のスタッフ、トクシマさんは、月イチの室内レクレーションでカラオケを歌うわたしに思わず声を掛けた。
またある時を思い出せば、懇親会という席での些細な口論から、重たい空気を引きずってしまったあの日のキヨちゃんに向けて。
一曲を歌い終えるまでには様々な情景が思い浮かべられる。


さて、この曲を巡っては、わたしには不思議が残る箇所があった。
それは二番の二回続くサビを歌う時。
同じ曲を歌うはずなのに、間違った歌詞が流れているように思えたのだ。

この記事の題名に(後々で変更することもあると思うが)、『オカルト』と仰々しい単語を用いたのも、一部で騒がれている「マンデラ効果」に紛れ込んでしまったのかと見失うくらいで、実際に得られた答えは特筆すべきものでもなかった。
どうやら1972年のオリジナルバージョンと1991年のニューバージョンとでは歌詞の順番が変わってくるようで、今までずっと気づかずにいた。
たったそれだけの思い込みだったのだ。

オリジナルバージョンの音源は歌うリズムが好きで、ニューバージョンについては詩の展開が大好きだ。
だから、これからはわざとそれに沿って、好き同士を掛け合わせた歌詞の順番でサビを歌ってみようと思う。
知らない人が聞いたら単なる歌詞間違いに終わってしまうだろうけれど。




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