真夜中

 二十代の頃に一年と一ヶ月だけの社会人を経験したことがある。その当時を振り返ると色んな人に迷惑をかけたまま会社を辞めてしまった。二年目の段階では前年の右も左も分からない状態で続けてきた仕事のミスをようやく気づけるくらいだから、それらの挽回は至らないままで、教えてもらった先輩や後任の人らが後始末を担ったはずだと省みる。
 その頃のわたしは(多分、今も変わらないけれど)なんとなくで仕事を進めていながら、いっぱしの不平不満を漏らしていた覚えがある。毎月の給与に見合わない働きぶりは他者の目、それこそ上司や雇用主の目からもあまり良くは映らなかったはずだ。

 その象徴として昼休憩の過ごし方が思い出される。わたしは中高生の生徒が扱うそれと同じように社内のパソコンでインターネットを楽しんでいた。それはスマートフォンの実物を目にする前の時代で、YouTubeに広告が付き始めた頃だったと記憶している。
 わたしは一人のライターのテキストサイトを日々、読み返していた。お気に入りの漫画を本棚から選ぶ感覚で、更新の止まったサイトのコラム欄を何度と往復していた。その中には取り分けて記憶に残る言い回しがあった。
 今では「真夜中のラブレター」と呼ばれている現象らしい。色々な人の共感やうなずきが起きるその深夜のテンションに頼る創作をライターはこういうふうに表現した。

"真夜中に書かれた手紙を投函しようと思う。おそらく僕はそれを後悔しないと感じている。"

 わたしはかつての机の引き出しから一冊のノートを思い出す。中学時代の三年間に好意を寄せた人へ告白するまで、した後(振られた後)を綴っても埋まり切らなかった深夜のノートを思い出した。あれをいつのタイミングで処分したかも忘れてしまったけれど、あの頃の夜々を呼び起こしては、失われることのない情熱を留めようとする。
 わたしがライターの"投函"を大事に記憶しているのは、彼が「好きなものは好き」と言ってのけた真夜中の力を非としなかったところにあると思う。そこに残された内容が直接的であっても、伝えたい一心を解き放つ真夜中の力に信頼を乗せる勇気が、色々な人の共感とうなずきを奮い立たせる。

 爆笑問題、太田光がどの媒体で熱弁を振るっていたかが思い出せない。ただ、ライターの"投函"と同じように、太田光も真夜中の力を非としなかった人物の一人だ。多分、ラジオでリスナーからの疑問に対してのこういう答えだったんじゃないかと想像する。

「深夜を通して考えたこと、大笑いしたことっていうのは事実としてあるわけで。なんでそれが朝、目を覚ますと同時に一つも笑えないものになってしまうかというと、自分たちの感情がそこまで追いついていないから。だから細かく状況を描写してみせて、そういった表現を積み重ねては徐々に感情を乗せることで深夜の大笑い、感動っていうのはきっと再現できるんだ」

 追いついていないからこそ感情を乗せていく。発想の大転換。唸る。わたしが自分自身について語る時にも、客観性を掲げながら内に内にと呼び込もうとする様は、表現の力を信じる二人から受け取った尊意の現れによるものかもしれない。
 そして、これから先も真夜中のラブレターへと追いつけるように、ためらうことなくそれを投函しては、多少の後悔を含めた自身の感動を受け入れておきたい。

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