楽しみ

楽しいことを考えていたい。
というのも結果的に二ヶ月近くを家の中で鬱々と過ごしているとどうにも参ってしまったからだ。
意地や強がりのメッキはすでに剥がれ落ちて、心身はだらけきって、頭の中のあれやこれやは無理、無意味といった強い否定でその芽を失っている。

楽しいことを考えていたい。
具体的には半年後の季節、秋頃、あるいは短い夏の夜。
わたしたちは声を張り上げる。
足並みと手の振りを揃えて、競って歌を掛け合う。
それら踊りの光景を喜々として語っては、輝く目に映った全てが美しい。

楽しいことを考えていたい。
そこに必要とされる役割一つとっても責任を果たすために全身を捧げる。
単に歌っているのではなくて、踊りに酔いしれるわけでもなくて、夜を明かす騒がしさを欲するということでもなくて。
わたしがわたしで居られるその場所に意識を刻む。

楽しいことを考えていたい。
何も孤独の中に楽しさを見出す必要はないのだ。
皆と共有できる空間があればそこへと飛び込んだほうが格段に良い。
作り笑顔や巧みな所作が求められるとしたら、自然と身につくまでの時間を待てる余裕を持つだけだ。

楽しいことを考えていたい。
過去を振り返られるほどに時間は流れてしまって、思い出せる人々の表情は常に誰かが笑っている。
時の流れに悲哀や惜別が埋もれてしまっても不意に蘇ろうとも、そこには強く笑う誰かの顔がある。

楽しいことを考えていたい。
一定の呼吸に乗せて苦しみを少しずつ吐き出している。
これからも辛くなったらそうしよう。
一人が作り上げる完璧な空間に浸ったとて、いずれは朽ち果ててしまうだろうから、できるだけわたしたちは群れを成す。

楽しいことを考えていたい。
今日という日の夜が静かであったことにも感謝したい。
全面を締め切る遮光カーテンに淀む空気は隙間程度に窓を開けたとしても、待機するバスの排気音だけが聞こえていた。
動画が残す踊りの音と歌声は一人の部屋をあの季節へとつなぐ。

楽しいことを考えていよう。
まとまりのない一時間を振り返る。
これからも理想と模範を取り違えることなく生きていたい。
わたしに与えられた時間があるとするならば、残された時間を生きていくとするならば、まずはわたしの手の届く周囲の誰かのために使っていこう。

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