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光る石

せめてもの悪あがき。体調と精神面のリセットを図ろうと、今日は一日部屋から出ずに過ごす。ずっと横になって何もしない時間が流れた。枕元で聞く音楽も動画音声も配信ラジオも無しにして、後先考えずに寝っ転がった。

さて、どうしたものか。夕食後の余暇であるテレビ番組を一通り見終わったあとで、一日無駄にしてしまったなという後悔と焦りばかりがある。ただ今日の選択を違えたとしても、結果は同じだったように思える。追い詰められるほどに無関係な矛先としてゲームアプリへと走っては、やはり無駄だったという後悔と焦りとが生まれるものだったろう。

今日は今日。このことはまだどうにでもなるとして、明日はどうしよう。大多数が意気込むダイエットでもなし、「明日からのわたしが本気を出すぜ」とはどうにも自分自身が信じられない。またいつものように。そうやって逃げ道を望む。

何かものの例えとして「光る石」を用いていた。
これまでであればそこらじゅうで目につく石ころを大小様々、どんな形のものであれ拾い集めることが創作であると考えた。この石は飛行機のようだ。怪獣のようだ。食べ物にも見えるかもしれない、と。
いつ頃からか、そのようなごっこ遊びを少し離れて、水切り石として扱えそうなものばかりを拾い始めたこともあった。平べったく、丸く、投げやすそうな大きさ。水面ともやや平行に、素早い回転が掛かるように投げ入れる。
そうすることで、二足歩行の怪獣のような勇ましい角を持つ石ころは目に入らなくなった。

どうにも、今のわたしは「光り輝く石」を見つけることこそが、創作であると思い違える。何の変哲もない原石さえも見過ごして、石自体の価値とそこへ至るまでの過程を語ることこそ物語であるのだと。
noteを始めた頃にはどんな形の石ころでさえ光り輝いていたことをすっかりと忘れてしまっている。

今日は一日、部屋の中で寝て過ごした。それでも何かの価値を生み出せればいいのにと。

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