見出し画像

『スウェーデン女性史』と「忘れ去られた人気北欧ミステリ作家」

(トップ画像:Sveriges television ”Emilie – Sveriges första kvinnliga deckarförfattare” より)

 少し前にアリス・リュツキンス(Alice Lyttkens)というスウェーデンの作家による『スウェーデン女性史』という作品を知った。リュツキンスは1897年生まれで、1932年にデビューし、その後は年に1冊のペースで小説を発表したそう。1991年に亡くなるまでに書いた作品は54作。一時期は図書館でも貸出冊数が最も多い、人気作家のひとりだったらしい。女性を主人公とする作品が多く、私小説的なものもあれば、古い時代の女性を描いたものもあるそうだ。

 1972年からは三部作の『スウェーデン女性史』を刊行、これが日本語に翻訳されている、唯一のリュツキンス作品だ。中山庸子さんが翻訳され、『スウェーデン女性史』というタイトルで學藝書林から1990年代に出版されたが、残念ながら絶版。悔しいなあと思ったが近隣の図書館が所蔵していた(本当にありがたい)。

 第一部『スウェーデン女性史1 女、仲間を見つける』が古代から18世紀、第二部『スウェーデン女性史2 女、目覚めはじめる』が18世紀から19世紀、第三部『スウェーデン女性史3 女、自分の道を探す』が19世紀から現代(1970年代)、となっているが、どの時代も、それまでは男性の視点で語られてきた出来事や人物が女性(もっといえば、リュツキンス自身)の視点から語り直されている。

 訳者の中山庸子さんは、あとがきでリュツキンスのことを、「作品を通して、『女性はつい自分のことを過小評価しがちである、これではいけない、もっと自信をもとう』と励まし続けた」作家だと書いている。そして『スウェーデン女性史』については次のように評している。

「近代に入ってからやっと、一人前の人間としてあつかわれたい、生きたいと希求する魂の叫びを文章にしたスウェーデン女性たちがいたことを教えてくれる。そしてその背後には、生き延びるために売春する自分を信頼することができなかった、『なんのためにこんな生があったのか?』と疑問符をかかえたまま死んでいった何万、何十万の女性たちがいたことを、教えてくれる」

 図書館で三冊を借りてざっと読んだ後、わたしはウェブで探して古書を購入した。大作なのでゆっくり読みたいし、これからも資料として参照したい、というのもあるけれど、なによりものすごくおもしろかったからだ。人気作家でよく読まれていたというのがわかる、軽快な文章。話がぽんぽん進んでいく。語りながらふっと思いついたように、私的なコメントが挟まれ、悲惨な状況の描写なのに笑いも忘れない(だいたいブラックだったりシュールだったりするが……)。そして目線はいつでもいちばん弱者に向けられる。

 多くの女性が固有名詞で紹介されるのは、やはり18世紀くらいから。19世紀、20世紀初頭に活躍した人物にはそれなりにページが割かれているが、なんせその数が膨大なため、もっと詳しく知りたいと思ったら、別の資料を探さなくてはいけない。それでも、人物のあらましや当時の評価を知るにはとてもよい資料となってくれている。ざっと習った歴史をぼんやり思い浮かべたり、読んだ作品の風景描写と照らし合わせてみたりするのも楽しい。

画像2

 さて、ひと月ほど前、ツイッターで気になるツイートを見つけた。スウェーデンの公共放送スウェーデンテレビ(SVT)の作品紹介だった。「スウェーデン最初のミステリ女王に関するドキュメンタリー」とあり、記事を読んでみると、「どこかで読んだ気がする……あ、リュツキンスが書いてた人だ!」と思い至った。

 SVTの記事は、19世紀に国内外で大変な人気を誇ったミステリ作家のドキュメンタリー作品を、3月8日の国際女性デーに合わせて放映しますよ、というお知らせだった。近年、大陸ヨーロッパでも「ノルディックノワール」と呼ばれて人気の北欧ミステリだが、実は19世紀にすでに海外で大人気を博したミステリ作家がいた。現代ではほとんど忘れ去られた存在だが、こどもの頃に祖父母の家で作品を読んで好きになったという女性がドキュメンタリーを制作。「エミリー スウェーデン最初のミステリ女王」というタイトルで、破天荒な生き方をした作家とその作品を紹介する、という。

 その作家はEmilie Flygare-Carlén(ファーストネームは、”Emelie”と表記される場合もある)。『スウェーデン女性史』でも第三部で「エミリ・フリュガレ・カレン」として紹介されていた。『スウェーデン女性史』で読む限りでもかなり魅力的な人物だったようで、このドキュメンタリーもかなり気になる。(ちなみに、SVTは、後日視聴可能だったり、常時アクセスできたりする膨大なウェブアーカイブを誇る。が、国外からは残念ながら視聴不可。)

 1807年にノルウェー国境に近い海岸沿いの街で、船と工場を所有する裕福な商人の14人目の末っ子として生まれたエミリは、7歳から小説を書き始め、12歳で父親に連れられて航海に出た。海や自然、船乗りや漁師たちがしてくれる物語に親しんだという。長じて年上の医師と結婚し、スモーランド地方へ移り住むが、夫と死別し、4人のうち3人のこどもを早くに亡くす。その後、故郷の街へ戻り、恋愛、婚約、死別、出産などを経て、小説を書き始め、その作品が爆発的な人気を呼んで、首都ストックホルムへ上京することになる。

 デビュー4年後の1842年に発表した『ティーステル島のバラ(Rosen på Tistelön)』は、スウェーデン最初のミステリといわれているそうだ。『スウェーデン女性史』でも、ストリンドベリ以前の小説としては最高と評されている、と書かれている。

画像2

 SVTの記事では、世界最初の推理小説といわれる、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』のわずか1年後に出された作品だが、そのスタイルは、ポーよりも現代の北欧ミステリ作家のそれと通じるものがある、と紹介している。社会問題への鋭い視点や、女性であっても自由に生きる権利はあるという主張が、エンターテイメント性の高い作品の中に織り込まれている、と。

 SVT記事には、さらにもうひとつ興味深い記述があった。19世紀当時、スウェーデン国外で読まれていた作家の作品の8割を、エミリと別の女性作家2人の作品が占めていたそうだ。現在、スウェーデンの文豪としてまっさきに名前が挙がり、その名を冠した文学賞まであるアウグスト・ストリンドベリは、残りの2割を担う多くの作家のひとりにすぎなかったそう。エミリの作品は1950年代まではよく読まれていたものの、60年代以降、忘れられてしまった、とドキュメンタリー制作者は言う。そんなことってあるのか……。なぜなのかは書かれていないけれども、とても気になる。

 リュツキンスの『女性史』を読んでいると、そんなふうに忘れ去られた作家が他にも多くいるのだろうなあ、と思う。リュツキンス自身も現在はあまり言及されることがないような印象を受けるが、いま読んでも古びた感じはまったくせず、発見がたくさんある。彼女たちの人生はまっすぐにわたしたちにつながっている、という気がする。なかなかいろいろ追いつかない日々だけれども、リュツキンス自身の作品や、彼女が紹介する作家たちの作品を少しずつでも読んでいきたいと思う。

(文責:よこのなな)

*このブログは、にほんブログ村の
海外文学」と「翻訳(英語以外)」に参加しています*

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?