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デンマークの暗い過去そして今 −植民地と黒人奴隷制度−

 アメリカのミネソタ州でジョージ・フロイド氏が白人の警察官によって命を奪われてから、一ヶ月が経ちました。この事件のあと、デンマークでもBlack lives matterデモが起こりましたが、特に規模が大きかったのはアメリカ大使館前で行われたデモではないでしょうか。その日私はデモ当日だとは知らず、近くを通りがかったのですが、圧倒されるほどの多くの人が集結していました。今回の事件を、ただ「アメリカで起きたこと」としてではなく、自分たちの住んでいる国にも関係のある事柄として考え、アクションを起こすデンマークの人たちがこんなに沢山いるのには、彼らの歴史認識と何か関係しているからなのかもしれない、と思いました。
 見たくない過去から目を背ける、という心理は自然なことだと思います。しかし、見たいものだけを見てそれだけを受け入れるのではなく、目を背けたくなる過去と向き合ってみることも大切なことではないでしょうか。
 今回は、おそらくあまり知られていない、デンマークの黒人奴隷制度と植民地の過去と今についてまとめてみました。

デンマークの歴史−奴隷貿易と植民地
 過去にデンマークは、イギリスやスペイン、ポルトガル、フランスなどと並び大西洋奴隷貿易に参加し、アフリカから買った現地の人々を、主に砂糖やコットンのプランテーションで奴隷として働かせ、自国の経済をまかなっていました。
 デンマークによる奴隷売買は1660年代から1800年代初期まで続き、その間に約10万人のアフリカ人が、主に現ガーナから、当時デンマークの植民地であった西インド諸島のセント・トーマス島、セント・クロイ島、セント・ジョン島(現アメリカ領バージン諸島)まで、非人道的な方法で運搬されました(注1)。

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「世界で最初に奴隷制度を廃止した国デンマーク」という神話
「世界で最初に奴隷制度を廃止した国デンマーク」。これはデンマークの「誇れる歴史」として長いあいだ浸透していました。その奴隷制度を廃止にいたらせた重要人物がピーター・フォン・ショルテン(Peter von Scholten)総督です。デンマークの「ヒーロー」として見なされてきたフォン・ショルテンは、1827年から1848年のあいだ総督を務め、黒人奴隷廃止の率先者として語られてきました(注2)。この言説が、現在のデンマーク=人道的な国、という自己(国)描写につながっているという指摘も見られます(注3)。

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ピーター・フォン・ショルテン(Peter von Scholten)総督

 長いあいだデンマークに浸透していたこの言説とフォン・ショルテンのヒーロー像を疑問視したのが、歴史家のトーキル・ハンセン(Thorkild Hansen)です。1967年から1970年にかけて出版された歴史小説3部作"Slavernes kyst"(奴隷の海岸)、"Slavernes skibe"(奴隷船)、"Slavernes øer"(奴隷の島)で、著者のハンセンは17世紀から19世紀ににおけるデンマークの奴隷制度および奴隷売買に対する役割、またこれまで浸透していた歴史解釈に光を当てています。

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左から『奴隷の海岸』(1967年)、『奴隷船』(1968年)、『奴隷の島』(1970 年)

 デンマークでは、1792年に黒人奴隷廃止法案が可決されましたが、実際に廃止令が施行されたのは1803年なので、その間10年もの空白期間がありました。それは、その10年間に奴隷として働かせる黒人を買えるだけ買い、その後も西インド諸島の農園で労働力として使うためでした。西インド諸島内での奴隷売買は法的に許されていたことから、法案可決から10年後の1803年以降も奴隷売買は続いたのです。
 他国の措置を見てみると「デンマークは世界で最初に奴隷制度を廃止した国」言説が神話であることは、さらに明るみになります。例えば、アメリカの現バーモント州では、1777年にバーモント共和国憲法で奴隷制を禁止しました。フランスは1794年に奴隷制を禁止(ナポレオンによって1802年に取り下げられてしまいましたが……)、イギリスは1834年に奴隷解放令を制定しました。デンマークはというと、実際に奴隷制が完全に廃止されたのは1848年でした。「世界で最初」どころか、他国にどんどん追い抜かれていきました。

 今では、上記の言説が神話であることはデンマークでも一般的に認識されているように思いますが、2012年のポリティケン(Politiken)紙では「デンマークは200年前に世界で最初に奴隷制禁止令を施行した国なのだから、私たちはそれを誇りに思うべきだ」という社説が掲載されたことがあります。しかしその翌日の記事で「デンマークは世界で最初に奴隷制禁止令を施行した国ではなかった」と訂正したそうです(注3)。

I am Queen Mary像
 2017年は、デンマークが、旧デンマーク領西インド諸島(現バージン諸島)をアメリカに売却して100周年目でした。その出来事をしるす記念碑『I am Queen Mary』像が、二人の芸術家ラ・ヴァン・ベレ(La Vaughn Belle)とジャネッテ・イーラース(Jeannette Ehlers)による共同制作のもと、2018年コペンハーゲンの港に設立されました。奴隷貿易によって国の利益を得てきたデンマークですが、この像はその歴史を刻んだデンマークで最初の記念碑になります。
 ちなみにこの像の背景に見える煉瓦の建物は、植民地時代にデンマーク西インド会社という貿易会社が所有していた倉庫です。植民地で奴隷として働かされた人々によって作られた砂糖やラム酒は、貿易船でデンマークまで運ばれ、この倉庫に保管されました。今は国立美術館に属した『王立石膏模型コレクション』として使用されており、2000体以上の彫刻の石膏模型が所蔵されています。(詳しくはこちら

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 高さ7メートルにおよぶこのMary像のモデルとなっているのが、アフリカの黒人女性マリー・トーマス(Mary Thomas)です。マリーは、1878年にセント・クロイ島で黒人たちが起こした奴隷反乱のリーダーのひとりでした。反乱が起きたのは奴隷制度が廃止されて30年も経過したあとですが、その背景には、奴隷制から解放された現地の人たちが、その後もプランテーション所有者によって奴隷同様の過酷な労働を強いられ続けていた事実があります。マリーを含めた女性4人を筆頭に、労働者たちが約50もの砂糖プランテーションや畑、家屋に火を付けて焼きました。

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マリー・トーマス

 また、今年2020年9月には、第二の記念碑となる『自由の像』がコペンハーゲンの港に設置される予定です。この像は1998年にガーナ出身の彫刻家Bright Bimpongによって作られました。そして2017年、西インド諸島の売却100周年にちなんで、バージン諸島からデンマークに祈念碑として寄付されました。その後は国立博物館や労働博物館などで巡回展示され、このたび無期限で設置されます。

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『自由の像』("Freedom Statue")
(写真: https://www.tv2lorry.dk/kobenhavn/monument-danmarks-mest-skamfulde-kapitel-far-plads-i-kobenhavn)

 文化大臣のジョイ・モーンセン(Joy Morgensen)は『自由の像』設置に対して、次のようにコメントしています。

デンマークの歴史には、明るい章と汚点となる章のどちらも存在します。私たちは、自分たちの歴史の中の、もっとも恥ずべき章を覆い隠してはいけません。
『自由の像』は、デンマークが宗主国だった時代を私たちに思い出させてくれるでしょう。この彫刻は、終わることのない、自由のための戦いを象徴しています。そして、私たちは過去において、正しい道を進んでこなかったからこそ、この彫刻の存在を通して、人々の自由と自己決定権についてしっかりと考え続けているかどうかを自問しなければなりません(注4)。

注1: https://danmarkshistorien.dk/leksikon-og-kilder/vis/materiale/den-danske-slavehandel/
注2: http://www.sortsamvittighed.dk/peter-von-scholten.html
注3: https://danmarkshistorien.dk/leksikon-og-kilder/vis/materiale/myte-var-danmark-det-foerste-land-der-ophaevede-slaveriet/
注4:  https://www.anpdm.com/newsletterweb/46415C427446455C4273464259/434459467049405F4773484B5D4B71

(文責:種田麻矢

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