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ある自転車配達員の日記

 みなさんは日記をつけていますか? わたしは日記をつけるのも、記録を取るのも苦手ですが、日記や紀行文など、日々の記録として書かれた文章を読むのは大好きです。いつ、どこで、なにをしたか、そのときどんなことを考えていたのか。文章をたどっていくと、書いた人の見ていた風景が少し見えてくるような、追体験しているような、そんな気がします。

 11月下旬刊行予定の雑誌『シモーヌ(Le Simones)VOL.5』(現代書館)では、「「私」と日記:生の記録を読む」という特集が組まれています。わたし(よこの)も参加させていただき、『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』(アストリッド・リンドグレーン、石井登志子訳、岩波書店)についてのエッセイを寄稿しました。この作品がもっと広く読まれてほしい、とつぶやいていたところ、シモーヌ編集部さんがお声がけくださいました。機会がありましたら、『シモーヌ』も『戦争日記』も、手に取っていただければうれしいです。

 昨年の春以降、日記のような作品の刊行が国内外で増えたような気がします。これまで(少なくとも第二次世界大戦後の西欧社会では)ほとんど誰も経験したことがないパンデミックによる緊急事態を記録しておきたい、と多くの人が思っている、ということでしょう。9月下旬に刊行され、夢中になって読んだスウェーデンの作品も、コロナ禍の日々を日記形式で描いたノンフィクションでした。

"CYKELBUDET", Anders Teglund, Teg Publsihing, 2021.

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 以前にもnote記事で紹介した小出版社Teg Publishingのオーナーであり、編集者でもあるアンデシュ・テーグルンドが、初めて自身で執筆した作品です。Teg Publishingはアンデシュが弟と営んでいるレーベル兼出版社で、アンデシュ自身はピアニストとしての作品も発表しています。

 タイトルにある「cykelbud」は、「自転車便のメッセンジャー」を指します。でも、自転車での配達というと、今ならまず浮かぶのは「テイクアウトの配達」かもしれません。そう、これは「テイクアウト配達員」の記録です。

 自分を「文化労働者」と呼ぶアンデシュは、コロナ禍でピアノの演奏会ツアーやイベントなどがことごとくキャンセルあるいは延期となり、日々の糧をどうやって得ようか、途方にくれます。この機会に大学に戻ろうかと願書を書いてみたり、講師の求人に応募したり、支援金や助成金の申請を考えたりするも、彼が属する文化関係の業界はどこも仕事が激減しています。この状況で好調な業界はどこだろうと検索し、ヒットしたのは外食産業、テイクアウト配達サービスでした。

 自転車に乗るのがもともと好きで、メッセンジャーに憧れたこともあったアンデシュは、業界大手FOODRAに登録し、配達員として働くことにします。無事トライアルに合格して仕事を始めますが、それは、専用アプリに秒単位で管理され、アルゴリズムに街中を移動させられる、とても過酷なものでした。週ごとにパフォーマンスは集計され、チーム内での成績と順位が公開されます。

 読んでいるだけでも、もうこの時点で「そんな仕事も、サービスも無理だ、なくなってほしい……」と思ってしまうのですが、アンデシュは仕事中の動きを分析し、どうすれば効率を上げられるか、少しでも速く、多くこなせるかを考え、改善していきます。すると順位は上がっていき、契約は更新されます。

 彼は観察もしています。配達員を店内で待たせてくれない店、すぐ近くの店から取り寄せる客。過酷な労働条件のもと必死で働く配達員たち。同僚の多くは移民としてスウェーデンにやってきた外国籍の人たちで、難民申請をしている人もいます。

 一時的なものとして始め、当初は知り合いに見られたくない、と思っていた仕事に、アンデシュは全力で取り組みます。そして、ひどい労働条件と、それを受け入れるしかない同僚が数多くいることに憤り、労働環境改善のための活動を始めます。

 また、仲間たちの話を聞き始めます。なぜ、どのくらいこの仕事をしているのか、それ以前はなにをしていのか、スウェーデンにやってきたのはどんな理由があってか、母国ではどんなことをしていたのか。作中では、ヨーロッパ圏外、特に南アジアからやってきた人たちの話が紹介されています。滞在許可が延長できないかもしれない、という切実な問題を抱えた同僚には、できる限り支えようとします。

 そうした配達員としての生活と並行して、音楽活動をなんとかできないか、文化労働者としての模索も続けます。

 アンデシュは最初から、この体験をもとに執筆し、どこかの雑誌に寄稿しようと考えています。仕事を始めて数ヶ月、ある新聞にFOODRA潜入ルポ記事が掲載され、アンデシュは慌てます。けれども、同僚たちは、閑散期に、しかも坂の少ない街で(※アンデシュたちが働くイェーテボリはとにかく坂が多い!)ちょっと働いたくらいでは現実は伝えられない、本気で働いている君がしっかりとした記事を書くべきだ、と言います。

 このくだりはとても印象に残りました。なぜアンデシュが書くべきなのか。それは彼がこの労働をしている当事者であり、仲間だからでしょう。同僚たちは、優秀な配達員で、信頼する仲間であるアンデシュに、労働者として現状を伝えてほしい、自分たち移民がおかれている厳しい状況をスウェーデン社会に広く伝えてほしい、と思っているのでしょう。

 記事が発表されたことによって、世論が動き、問題は国会でも議論されることになります。けれども、配達員たちは、FOODRAに対する怒りが大きくなれば、人々がサービスを利用しなくなって自分たちの仕事がなくなるのではないか、という不安を漏らします。ここもまた、問題の根っこにある構造の複雑さ、難しさがはっきりと現れている場面でした。どうすればいいのか、途方に暮れそうな状況ですが、アンデシュたちの目的は明確です。とにかく仲間を集めること、会社と交渉すること、少しでもよい条件を獲得すること。労働運動の原点はぶれません。

 結果的には、国会での議論はアンデシュたちの労働運動にもよい影響を与え、アンデシュたちも政治家と意見交換を行うなど、好機を積極的に利用します。その間に、別の新聞記事がまた出ますが、アンデシュは粛々と働きます。労働運動の大変さに疲労困憊しながらも現場では具体的な改善を求め、仲間の話を聞き、記録を取り、ピアノを弾き続けます。

 本書には2020年3月から2021年6月までの日々が記録されています。アンデシュは配達員の仕事を始める前からコロナ禍の日々の記録を始めていました。配達員の仕事を始めたのは2020年4月、本書のエピローグの日付は、仕事を始めて1年数ヶ月後の2021年6月です。本書が刊行された今年9月、ブックフェアで行われたトークイベントで、彼は今も配達員の仕事を続けている、と話していました。

 この本はどんな本か、ジャンルはなにか、と尋ねられると、うまく答えられません。ただ、ひとつだけはっきりいえるのは、音楽家が別の世界をのぞいてみた、その大冒険を描きました、という類のものではないこと。オンライン書店を見てみると、「社会学 > 労働、労働力」「日記、書簡」「音楽」などのタグが付けられています。労働、音楽、日記、まさにそうかもしれません。

 わたしたちの生活のすべては地続きになっていることを改めて思い出させてくれる、静かで力強い作品です。そして、アンデシュも含め、登場人物たちの暮らしは、わたしたちのものと同じく続いています。

(文責:よこのなな

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