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映像翻訳における「ら抜き言葉」の現在地

 最近、ら抜き言葉が気になる。身の回りの会話や文章で、たくさんのら抜き言葉に遭遇する。みなさんも普段、日常的に使っていると思う。もしかしたら「正しい(あるいは美しい)日本語ではないから撲滅すべき」という反対派の人もいるかもしれないが、個人的には、言語学を学んでいた立場から、ら抜き言葉は日本語の変化の1つであり、抗いようのないものだと考えている。言語学は言語の正しさを定義するものではなく、言語そのものを観察し研究する学問なのだ。言葉は移ろいゆくものであり、その変化こそが面白いと思う。

 だから「気になる」というのは「言葉の乱れを指摘したい」という意味ではない。字幕や吹き替えの翻訳をしている時、ふと考える。映像翻訳の案件では、原則としてら抜き言葉の使用はNGとされている(文芸翻訳や産業翻訳も同様だろうし、たぶんより厳しいのではないかと推察する)。とくに指示がない場合も、それを守って仕事をしている。しかし、ら抜き言葉がこれだけ世の中にあふれている現在、カジュアルな場面ですらそれを使わないというのは、逆におかしいのではないか? そんな疑問がふつふつと湧き出てくるのだ。とくに、リアリティーショーや恋愛ドラマなど、近しい間柄のくだけた会話が頻出するような案件の際に強く感じる。また、吹き替え案件では、実際に発話するためのセリフを考えるので、余計にそう感じるのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、『三省堂国語辞典』の編纂者である飯間浩明さんが、すでに(ちょうど1年ほど前)こんな発言をされていた。

「ら抜き言葉」を避けるのは逆に不自然?小説における若者の会話描写、「正しい日本語」の絶対視はやめた方がいいかもという話
https://togetter.com/li/1529751

 そう、まさに「ラフなことば遣いの兄さんが、時々急に敬語になるような不思議な感じ」なのだ。それに、ら抜き言葉を使うのは、何も若者だけに限られない。私だってそろそろ中年に差しかかろうという年齢だし、例えば、先日見ていた『水曜どうでしょう』では、40〜50代の大泉洋とミスター(鈴井貴之)が堂々とら抜き言葉を使っている。くだけまくった会話であるから当然なのだが。(加えて、彼らの出身地である北海道では、わりと早い段階でら抜き言葉が普及していたという事情もあると思われる。)

水曜どうでしょう2019年新作「北海道で家、建てます」
(第1話/8:20)鈴井:やっぱり浴室がない、シャワーが浴びれないのとか……
(第1話/16:05)大泉:あれ? 出れるのかな
(第2話/6:14)大泉:俺、別にあんたらと高層ビル建てれるとは思ってねえけど

 過去にはニュース映像で「インタビューを受けた一般の方がら抜き言葉で話しているのに、テロップでは『ら』が入れられていた」という話を聞いたことがあるが、『水曜どうでしょう』のCC(クローズドキャプション:音声を書き起こした日本語字幕)では修正されることなく、ら抜きのまま書き起こされている。ついでに、「出れるのかな」のところではテロップが出るのだが、それももちろん、ら抜きのままである。

 書き言葉のほうを見ると、日本経済新聞の電子版でインタビュイーのら抜き言葉がそのまま使われているのを目にした。4都府県で3度目の緊急事態宣言が発令された先月の記事である。

三たびの緊急事態宣言 初日の街の様子は(日本経済新聞 2021年4月25日)
夫婦でランニングに来ていた40代の会社員女性は~(略)~百貨店にも出店する靴などのブランド企業に勤めており「客が来れなくなり心配。休日でも在宅勤務用のパソコンで売り上げを確認する」と語った。

 試しに日経のサイト内で検索をかけてみたところ、「見れる」は141件、「来れる」は157件、ヒットした。下記のように、会話内ではなく、地の文で使われている例も見受けられる。

デザイナーから学ぶ新たな切り口の作り方(7)伝えたい要素を紙1枚に デザイン思考のアウトプット(NIKKEI STYLE 出世ナビ 2021/5/4)
オンラインによる講演を見れる動画チャンネルのTEDがきっかけになり、
静岡・焼津の秘湯を刷新、経営コンサルと二刀流 静岡きらり人財(日本経済新聞 2021年4月16日)
これまで同様薄利だが気軽に来れる温泉として再建を目指した。

 また、ACジャパンが展開している骨髄バンクのCMでは、「みんなのサポートがあったから、僕は、再びこの場所に戻ってこれた。」というキャッチコピーが使われている。電車で中吊り広告を見かけたが、大きな文字で記されていた。このコピーは「戻ってこれた」だからこそ、早川選手本人の言葉として心に響くような気がする。

 このように、ら抜き言葉は、口語表現としてはかなり一般に浸透・定着してきているように思われる。そして、実際のところ、動画配信サービスでドラマなどを見ていると、日本語字幕にら抜き言葉が使われているケースもなくはない。ただ、意図的に使っているのか、無意識に使ってしまっているだけなのか、よく分からないのが現状だ。

 ここで、面白い例を見つけたので紹介したい。Netflixで配信されている『ソニックトゥーン』というアニメの吹き替え版だ。

 時折登場するFastidious Beaverというキャラクターは、どうやら原語(英語)ではwhomを使用すべき場面でwhoを使う人に厳しいという性質があるらしい。ビーバーが文法的誤りを指摘するシーンが何度かあるのだが、吹き替え版の翻訳では、その会話がら抜き言葉に置き換えられているのが興味深い。

シーズン1 第12話「罪の意識」(3:50~)
ゴゴバ族の首長:大事なお客様がいるというのに寝れましょうか。(How could we sleep when we got guests to take care of?)
《ビーバーが突然カメラの前に現れる》
ビーバー:えっと、正しくは“寝られましょうか”じゃないの?(Actually, it's "guests of whom to take care.")
村人:寝れません……、あー、寝られません。(We can't sleep, [Thinks] of whom.)

※英語スクリプトは https://transcripts.fandom.com/wiki/Sonic_Boom より(以下同様)

 第32話のシーンは見事だ。主人公のソニックが "Theorized..."のあとに"by who?"と言いかけているので、本当は「(鏡写しの世界があるって説は)誰が唱えてるの?」という訳になるはずだが、ここを「信じれ……」とら抜きで処理をしている。「信じ、られ、ない」と言い直すところは、原音が「バイ、フゥー……ム」という言い方なので、ブレス(息継ぎの箇所)もばっちりハマっている。(完璧なので、Netflixで見れる人は英語と日本語の音声を聞き比べてほしい。)

シーズン1 第32話「ふたりのナックルズ」(4:08~)
テイルズ:昔からある仮説でね、異次元に鏡写しの世界があるっていうんだ。(For years, it's been theorized that a Mirror Dimension exists parallel to our own.)
ソニック:信じれ……Theorized...
《ビーバーが窓の外からじっと覗いている》
ソニック:信じ、られ、ないBy... whom?)
《ビーバー、残念そうに去る》
テイルズ:正直僕もさ。(Theorized by me.)

 余談だが、この吹き替え版の出来がすばらしく、最初から日本語で作られたようなクオリティにとても驚いた。先行して発売されているゲームソフトがあるため、キャラクターの性格や口調がすでに出来上がっていて、同じように翻訳・演出されているのだろう。声優さんもほぼ一緒らしい。惜しむらくは、第1話の段階ではまだビーバーの性質を把握していなかったのか、単にら抜き言葉を使用するセリフを作るのが難しかったのか、以下のシーンにはら抜き言葉が使われていないことだ。

シーズン1 第1話「相棒オーディション」(6:40~)
ソニック:全員、“一斉(いっさい)”にスタート!(The winner will be whoever makes it-)
ビーバー:えっと…… 「全員、“一斉(いっせい)”に」でしょ?(Actually, it's "whomever.")

 文化庁による「国語に関する世論調査」では、2015年度に「見れた」「出れる?」を使う人の割合が「見られた」「出られる?」を初めて上回ったという。各項目の差は僅差であったが、10代後半~20代では「見れた」を使用する人が7割を超えている。ら抜き言葉の調査は5年ごとに行われているそうなので、2020年度にも行われたはずである。まだ結果は開示されていないが、ら抜き言葉を使用する割合は、各世代でさらに増えているに違いない。もしかしたら、そう遠くないうちに、映像翻訳でも「カジュアルな場面ではら抜きOK」という日がくるのではないかと思っている。

(トップ画像:「平成27年度『国語に関する世論調査』の結果の概要」より)

(文責:藤野玲充)

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