見出し画像

スウェーデンの新しい児童文学賞

 昨年の秋、ノーベル文学賞の選考で知られるスウェーデン・アカデミーが、児童・ヤングアダルト向け文学に対する新たな賞を創設したことを発表しました。同時に発表された初代の受賞者はフリーダ・ニルソンです。1979年生まれ、2004年のデビュー後、コンスタントに作品を発表し、国内外の文学賞の候補にもたびたび挙げられる作家で、昨年4月には日本語訳として初めての作品『ゴリランとわたし』が刊行されました。同書を翻訳させてもらったこともあり、とてもうれしいニュースでしたが、同時にとても驚きました。あのスウェーデン・アカデミーが児童文学賞を創設するとは、と。

  スウェーデン・アカデミーはスウェーデンで最も権威のある文学団体ですが、2017年秋に発覚したスキャンダル以降、個人的にはどうしてもそちらの方が気になってしまいます(詳しくは羽根由さんの訳書『ノーベル文学賞が消えた日』やnote記事などをどうぞ)。

  児童文学との関連では、アストリッド・リンドグレーンがノーベル文学賞の候補とされたことはあるものの受賞にはいたらなかった、という話題を思い出します。生前も死後も話題になるこのテーマについて、会員や元会員が(守秘義務を守りつつ)インタビューなどで次のように話しています。

・候補となっても受賞にはいたらない作家は他にもたくさんいる。
・作品の売り上げや人気は評価に影響しないことが原則。
・児童文学そのものを評価しない会員がいてその影響が大きい。
・そもそもアカデミー内に児童文学を充分に評価できる会員がいない。
・リンドグレーンを評価するためには、膨大な児童文学作品を読む必要があるが、会員たちには時間もその気もなかった。

https://sverigesradio.se/artikel/5729802
https://www.svb.se/nyheter/utland-darfor-fick-astrid-aldrig-nobelpriset


 ノーベル文学賞がなんぼのもんかとか、スウェーデン・アカデミーによる評価が必要なのかとか、いろいろ思うところはあるのですが、こどものための文学とそれを書く作家を下に見る風潮があることは、スウェーデンだけのことではないにしても、ずっと気になっており、「リンドグレーンとノーベル賞」問題はその象徴のようにも思えていました。

 そんなわけで、冒頭のニュースを知ったとき、なぜスウェーデン・アカデミーがいま児童文学賞を創設するのだろう、とまず思いました。ウェブサイトの公式発表には以下だけが記され、設立の趣旨や授賞理由といった詳しいことはなにも書かれていません。どうも国内の作家を対象にしたものらしい、ということだけはわかりました。

  スウェーデン・アカデミーは、2021年のスウェーデン・アカデミー児童・ヤングアダルト文学賞をフリーダ・ニルソンに授与することを決めた。本賞は児童・ヤングアダルト文学の作家に贈られるものとして、新たに創設、つまり今年初めて授与されるものである。賞金の額は7万5千クローナである。

https://www.svenskaakademien.se/press/svenska-akademiens-pris-for-barn-och-ungdomslitteratur-2021

 この賞に関する報道もあまりされておらず、あっても公式発表をなぞる短い記事ばかりです。受賞者であるフリーダ・ニルソンは、以前はラジオやテレビで仕事をしていたものの、最近はメディアに登場することもほとんどなく、ソーシャルメディアも利用していないため、やはり詳しいことはわかりません。

 そもそも、スウェーデンにはすでに有名な児童・ヤングアダルト向け作品のための文学賞がいくつもあります。国内の作家を対象にしたものでは、スウェーデン図書館協会によるものが有名です。作家賞であるニルス・ホルゲション賞(Nils Holgersson-Plaketten)に、画家賞であるエルサ・ベスコフ賞(Elsa Beskow-Plaketten)、どちらも前年に刊行された作品の作家/画家、あるいは全業績が選考対象です。ノンフィクション作品を対象にしたカール・フォン・リンネ賞(Carl von Linné-plaketten)もあります。

 アストリッド・リンドグレーン賞(Astrid Lindgren-priset)は、リンドグレーンの作品を刊行し、リンドグレーン自身も編集者として働いていた出版社が創設したもので、こちらも国内の作家の全業績が選考の対象です。

 リンドグレーンの名前を冠した賞で、もうひとつ有名なものは、アストリッド・リンドグレーン記念文学賞(Astrid Lindgren Memorial Award、通称ALMA)です。これはリンドグレーンの死後にスウェーデン政府が創設した国際的な文学賞です。この賞のおもしろいところは、作家や画家だけでなく、こどもの読書推進に貢献した個人や団体も選考対象であることです。実際にこれまでに3組の団体が受賞しています。日本の作家では2005年に荒井良二さんが受賞、今年度の日本からの候補には松岡享子さんと田島征三さんが挙がっています。

 こうしたなか、あえていま、国内向けの児童文学賞を新設するというのは、児童文学の重要性をスウェーデン・アカデミーが認識し始めている、ということなのかもしれません。20世紀以降、スウェーデンの児童文学が世界的に果たしてきた役割の大きさを考えると、かなり遅い気もしますが、こどものための文学に対する認識が少しでも変わっていくのは大歓迎です。

 ただ、スウェーデン・アカデミーが選考するものとしては、別の国内向け児童文学賞が、すでに20年前から存在しているようです。個人の遺贈による資金で創設された賞(Schullströmska priset för barn- och ungdomslitteratur )で、2002年から隔年で選出され、これまでの受賞者はベテランばかり。バルブロ・リンドグレン、アニカ・トール、グニッラ・ベリィストロム、スヴェン・ノードクヴィスト、ウルフ・ニルソン、ウルフ・スタルク、アンナ゠クララ・ティードホルム、ヤン・レーフ、アンナ・ヘーグルンド、Katarina von Bredow、と、最新(2020年)の受賞者である von Bredow以外は、日本語でも紹介されている作家ばかりです。

 こうなるとますます、今回新設された文学賞はいったいどういう位置づけのものなのか、わからなくなってきました……。新しい賞の受賞者ニルソンも実力と人気のある作家ですが、既存の賞の受賞者に比べるとずいぶん若いので、ふたつの賞はきっと異なる趣旨を持つものなのでしょう。今後はどんな受賞者が選ばれるのか、要注目です。

 最後に、改めてスウェーデン・アカデミーのウェブサイトを見ていると、非常に多くの文学関連の賞と文学奨励金制度が用意されていることに気がついた、ということも付け加えておきます。文化を下支えするという役割をアカデミーが担っていることがよくわかりました。(だからこそ、組織の腐敗は社会に大きな影響を与えるのだ、ということも……。かく言うわたしも、スウェーデン・アカデミー編纂のオンライン辞書を毎日使っており、「3種の辞書を無料で引けるのは本当にありがたい」としみじみ思っていますので、アカデミーには健全な方向へ進んでほしいです。)

 (文責:よこのなな)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?