見出し画像

noteの再開/膨張する"意識"を宥める

noteを始め、計画的に執筆・投稿するぞ~などという話をしていた矢先にパタリと更新を途絶えさせてしまって早半年。

物理的にも精神的にも色々なことが降りかかって出鼻を挫かれ、深刻な事態とまでは至らずとも予定通りには生活できなくなってしまったため、noteを休まざるを得なくなってしまったのでした。
もっと前からnoteをスタートしていて習慣化していれば「心の拠り所」になったかもしれませんが、始めて日が浅かったのでnote用の文章を書くことの負荷が大きく、継続することができませんでした。

この間に様々なことを考えさせられ、アウトプットの姿勢についても再考しました。
noteを始めた当初は、noteを書く過程を理想的な形に整備することによって自分を律し、書くことや考えることについて己を積極的に成長させようと目論んでいました。
そのような謂わば「背伸び」は、言い換えれば「自分以上の何かを演じること」であり、演じているうちに実際の自分が何歩か(あるいは何十歩か、何百歩か)後れて追いついていくことを自分に期待するものです。
その試みによって自分というものが成長していくのは確かですが、成長するほどの行動を続けるには当然ながら馬鹿にならないエネルギーが必要であり、「演じなくてもいい」という余地を残しておかないと行動全体を途絶えさせることになってしまうんですよね。

つまり、意識が高過ぎたのです。生活の変化により費やせるエネルギーのサイズが著しく縮小し、そのことに自分の向上心的な意識がついていけませんでした。
その意識の高さはそもそも、漠然とした不安や焦燥感が招いたもので、早い話が鬱状態にあったのだなと思っています。そこにトドメを刺されてエネルギーの供給が途絶えて書く力を失ってしまいました。
そして精神衛生の回復に伴い、意識が分相応なレベルに落ち着いてきたことによって、ようやっとnoteに再び向き合う気力を取り戻しました。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のように、「毎日やるぞ!」という背伸びはせず、しかしながら結局は毎日何かしら書き残しているぞ、という形に持っていけたらいいなと思っています。
書けるときに書けるものを書く、という心の自由を見失わず、結果的に毎日が書けるときで、毎日書けるものがあって、毎日書くエネルギーがあるような暮らしを送りたいですね。
ということで次の更新は未定です。書けそうなことは今のところ色々あります。

余談ですが、新年度から再開しようと前々から考えつつ、きっちり4月1日から始めるとまた意識が膨張するに違いない、と思って今日にずらしたのでした。

(ゆるゆる気ままに書く、ということを体現しているようなイラストと出会ったので見出しにお借りしました。素敵なイラストをありがとうございます。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?