リトアニアとバスケットボール

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最近一ケタ台の気温が続き、まるで冬かのような日々をリトアニアで送っております。ぶぅです。

今回はリトアニアの国技_”第二の宗教”とまで謳われるリトアニアのバスケットボールについてご紹介していきたいと思います。

なぜこの国ではこんなにもバスケットボールが国民全体に浸透して人気を博しているのでしょうか。元来バスケットボール人気はあったようなのですが、それを更に激化させる出来事が過去にあったのだそうです。

旧ソ連時代のリトアニア

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皆さんもご存じだとは思いますが、冷戦時代リトアニアは旧ソ連下に下り、他の東ヨーロッパ諸国と同様に欧米列強の間の緩衝地帯とされていました。当時はその構造から鉄のカーテンとして、ソ連の情報が漏れないようにするための壁とまで言われていたのはまだ記憶に新しいことだと思います。

そして、遡ること30年前_ソウルオリンピックというオリンピックがありました。当時、バスケットボールがオリンピック種目として追加されたばかりの頃で全世界のバスケットボールプレイヤーが歓喜に満ちていたことだと思います。こんなん激アツですよね。

さて、今となってはNBAで有名なアメリカ。当時のオリンピックの際にもアメリカは名だたる有名選手を募り、代表チームを結成していて誰もがアメリカの優勝を信じていました。しかし、結果は銅メダル・・・。

このオリンピックの優勝国はなんとソ連だったのです。しかも5人いるメンバーの内4人が当時ソ連下にあったリトアニア人だったのです。

この事実がバスケットボール好きだったリトアニア人のバスケットボールへの関心をより一層高めたのだとか。そこから一気にリトアニアにおけるバスケットボールが激化していきます。

そして迎える4年後のバルセロナオリンピック。ここで更に国民全体の威信をかけた世界戦争がはじまります。

バルセロナオリンピック

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バルセロナオリンピックの際、リトアニアは旧ソ連から唯一独立し、ナショナルチームを結成してオリンピックへと臨みます。かたやソ連は他の旧ソ連体制下にあった東ヨーロッパ連合から代表を募ってこのオリンピックに臨みました。

そして、旧ソ連国家vs. リトアニアという構造が奇跡的に生まれます。国家の威信をかけたこの戦い(いわば代理戦争ともいうべきでしょうか)には世界全体が注目しました。

激しい攻防とイーブンゲームで誰もが息を飲む試合だったそうです。そして、最後に勝利を納めたのはなんとリトアニア。全国民が熱狂し、旧体制への勝利と独立した強さの証明ともいえるこの結果がリトアニアでのバスケットボール人気を向上させ、今言われる第二の宗教という地位にまで押し上げていったのだと思います。


今も沢山のNBA選手を輩出している国はなんとFIBAランキングでも6位に入り込む強豪です。私自身はまだ試合を観戦したことがないので、今度は見に行った際のレポートをこちらで行いたいと思います。

詳しくはまた後日ということで、今日はリトアニアでのバスケットボール人気とそこに至るまでの経緯を簡単にご紹介させて頂きました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。ではまた。

#リトアニア #カウナス #バスケットボール #留学生日記

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