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嵯峨野ぐらし13 六角通を歩く

 ちょっと涼しくなってきたので、久しぶりに歩いてきました。昨日たまたま西大路六角へ行く用事があり、こんなところまで六角通が通ってるんやと思い、突然ですが、今日は六角通を完歩してみようと思い立ったわけです。
 六角通といえば、「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦~」の歌で三の次に出てくることでもわかるように、三条通の一本南の通りです。地図で見ると、西は西小路通のちょっと東あたりから、東は木屋町まで続いています。西のほうは地図で見ても道が入り組んだややこしそうなところですが、この写真のところが西の端っこのようです。

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まっすぐ行くと「この先行き止まり」の看板があり、西小路へ抜けるにはここで左折しなければなりません。右側は「ホテルクラウン」の裏口です。「ホテルクラウン」といえば、嵐電で嵐山へ向かうときに西大路三条から路面電車になり、道路の真ん中を爆走しているときに南側に見える「なんでこんなとこにポツンと1軒だけラブホがあんねん?」と気になってしまう、わかる人にはわかるあのラブホです。裏口があるなんて知らんかった。
ここから狭い道を東へ向かうと、じきに道幅が広がります。

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西大路六角(上写真)を過ぎると、嵐電の踏切にぶちあたります。

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ここで嵐電の車窓から見える「アジロソースさん」が気になっていたのですが、この踏切を渡るのは初めて。
「アジロソースさん」は京都の老舗の「地ソース屋さん」で漢字では「味露」と書きます。お好み焼き屋さん業界では人気のソースだそうですが、京都でもそこらへんの店では売ってないのでなかなか手に入りません。実は私の知る意外なところで買うことができたのですが、その意外なところが閉店してしまったので、私にとっても幻のソースになりそうです。
さらに進むと、御前通の先のあたりで大きなマンションに突き当たってしまいます。

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マンションのまわりをぐるっと回って向こう側へ行っても六角通は復活せず。今はJR山陰線が高架になってますが、平成のはじめ頃までは地上を走っていたし、二条駅も貨物ヤードのある大きな駅だったので、このあたりは六角通が寸断されていたのかもしれません。さらに東へ行くと材木屋さんが目立つようになり、千本通へ突き当たりました。

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千本通は上写真の千本三条交差点、三条会商店街アーケードの西入口よりも北、西陣のほうはバスも走る大きな道ですが、ここより南は写真のような一方通行の細い道になります。同じように大宮通は四条大宮より南は大きな道なのに、北は一方通行の細い道。そして、千本三条と四条大宮の間は「碁盤の目」の京都では珍しい「思いっきり斜めに通る道」になっています。この斜めの道は「後院通」と名前がついていますが、大正時代にできた道です。
京都市が市電を走らせるにあたり、千本通は千本三条より南へ延長してもイナカで採算が取れそうにないのと、大宮通は四条大宮より北へ延長してもやがて二条城にぶち当たってしまうという理由で、千本三条と四条大宮の間を斜めに結ぶ道を作って電車を走らせ、ついでに市電の車庫を作ってしまおうということにしたため、市電がなき後もこんな道路になっているのです。市電の車庫の跡は、今は小さなバスの操車場になっていますが、平成1桁の頃までここら一帯に京都市交通局とバスの巨大な車庫があり、「壬生の交通局」と呼ばれてました。車庫に入るバスは行先にひらがなでデカデカと「みぶ」と書いてあったのが懐かしいです。

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さて、千本三条といえば、「朝5時まで営業」でおなじみの「力肉みよ志」です。コロナ第1波で夜のお酒提供が禁止になるといきなり「朝5時から営業」というコペルニクス的転回で営業をして驚かされたものですが、さすがにお酒が終日提供禁止になると休業せざるを得なかったようです。残念。

 さて、後院通から再度スタートした六角通。しばらく、自転車しか通れないような細い道が続きます。

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しばらく行くと、「花菱ポン酢」でおなじみの斎(いつき)造酢店さんがありました。こんなところにあったんだ。斎造酢店さんは江戸時代から続く老舗で、完全古式製法で作っているという銘品です。これもまた、そこらへんの店では売ってないので入手困難です。私が通ったときも北陸のほうのナンバーの車から一升瓶6本入りのケースを両手に抱えて降りてきて店へ入っていく人がいました。プロの方がわざわざ買いに来る店のようです。

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 さらに東へ進み、烏丸通を越えると、六角通の名前の由来となったお寺「六角堂」があります。六角堂は本堂が六角形をしているために呼ばれるようになった通称で正しくは「紫雲山頂法寺」といいます。西暦587年に聖徳太子が開いたとされ、平安京を作るときにジャマだから壊そうとしたら黒い雲が現れ、本堂が自らジャマにならないところへ移動したという伝説が残っています。しかし六角堂を有名にしているのは何といっても本堂の北側にある聖徳太子が沐浴をしたという池のそばにあった寺坊「池坊(いけのぼう)」です。室町時代に花を生ける名人と呼ばれた池坊の僧から発祥した生け花の理論や技法がのちに体系化され現在の「華道」になったことで知られています。そのため頂法寺の住職は代々、池坊家の華道家元が務めています。
なので、現在の寺坊「池坊」は・・・

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上写真のような11階建ての池坊本部ビルになっています。

 さらに東へ進むとおしゃれな店が立ち並ぶ繁華街に入ってきます。寺町商店街のアーケードをくぐると、新京極通誓願寺に突き当たります。

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誓願寺は今は小さなお寺ですが、浄土宗西山深草派の総本山です。もともとは別の場所にあった大きなお寺だったのですが、1591年に豊臣秀吉の命で移転したとされています。秀吉は寺社が権力を持ち、自分の天下を脅かすことを恐れ、有力な寺院の土地を没収し、寺町通を作って移転させ、狭い地域に押し込める政策をとったため、現在も寺町あたりにはお寺が密集しています。現在の本能寺もこのときに新京極に移転させられたもので、「本能寺の変」があった当時の本能寺は別の場所にありました。

 六角通は誓願寺に突き当たってしまいましたが、ちょっと北側にずれた「うなぎの京極かねよ」の前の道が六角通になっています。河原町通に出るとミーナ京都(LOFTや京都ゆにくろの入っているビル)のところで再度突き当たってしまいます。

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今度はちょっと南へ戻り、業務スーパーあじビルの間の道に六角通の標識がかかっているので、この道を進みます。
しかし、高瀬川の小さな橋を渡り木屋町通まで行くとまたまた突き当たりになってしまいます。

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地図のうえでは、今度こそ六角通の東の終点のようです。
右京区の西小路通あたりから中京区の木屋町通まで約1万歩のウォーキングでした。
でも突き当たりのちょっと南に先斗町通へ抜ける細道があるので、一応先斗町まで歩いて鴨川に突き当たるところまで行っときましょう。

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味のある細道ですが、これは六角通ではありません。
最後まで長々とおつきあいありがとうございました。
次回をお楽しみに。

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