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映画【GREEN BOOK】

ちょっぴり覚悟を決めてから観る映画だった。

観始めてしまえばストーリーに引き込まれて、あっけなく2時間その場に縫いとめられてしまうのだけど。

重たそうなテーマとは裏腹に、案外あっさり進んで行く展開。
どちらかというとコメディー、なんなら各々三癖くらいあるどうしようもないおじさんたちが友情を育んで行くハートフルストーリー。テンポは小学生とほぼ同じ。

昨日『未来のミライ』を観たせいで、幼児と子供の狭間を乗り越えるくんちゃんと重なって仕方がない。
ちょっと溜めて「昨日の夜はごめん」なんて謝るな。しかもその前に給料アップをちらつかせて引き止めようとするな!見捨てられたらどうしようと焦るそのいじらしさにもはや笑ってしまう。

「事実に基づいたストーリー」と冒頭に出てきた通り、大きすぎる山も深すぎる谷もない。事実は小説よりも奇なりなんていうけれど、世界にはありふれた日常と生活の方が大多数だ。

小説の読みすぎか、淡々と進む展開にNYへ帰る道中で車が事故るのだろうかと勝手にハラハラしていたが、結局ドクがハンドルを握っちゃうハートウォーミングな絵面が登場して笑顔になってしまう。

差別に対する抵抗は一度だけ。それ以外は折り合いをつけながら。
トニーが「よく我慢してる」と言った以上の忍耐を、ドクはその身に捧げていたのだろう。
殴り合うわけでも、説得に成功しレストランで食事を取ったのち一身に拍手を浴びることもない。場末のバーで楽しく演奏して、おそらくドクのピアノの価値など知らない人たちを踊らせて終わる。

劇的な展開などない。

演奏会の日取りが遅れることも、ピアノを弾けなくなるけがを負うことも、トニーが命がけでドクを庇うことも。
起こりうるであろうことを可能であろう範囲の対処法で片付けながら、淡々と旅は進んでゆく。人種も性別も関係ない、誰の人生にでもマッチするエッセンスを足しながら、緩やかにストーリーが編まれていく。

いっそ拍子抜けするほどで、でもこの「そこかしこにあってもおかしくないこと」こそ、この映画が描くべきものだったのだと思う。


小説にせよ映画にせよエンタメとして扱い処理する私に、政治的な示唆や環境問題など社会派な投げかけが多分に含まれているものは、恥ずかしながら少々億劫に感じてしまう。しばらくぐるぐると考え込んでしまうから、観て得られるであろうものと天秤にかけつつなんとなく避けてきた。当然、人種差別も然り。

日本人として日本に生まれ、概ね日本で育った私が差別にじかに触れることはほとんど無い。アメリカンボード設立のミッションスクールでリベラル色強めに思春期の中高6年間を突破してきたせいか、感受性だけは少々ご立派に、しかしそれでもせいぜい世代特有の近隣国への忌避感が透けて見える親族らの言葉に顔を顰めてみせるか、彼らの親御さんの論調をそのまま口から出力していますと言わんばかりの経験も意思も伴わないレシート以下の薄さと重みで嫌悪を滲ませる同期の発言に、口元や眉間に力が入っては慌てて抜く程度の抵抗だ。


「オリエンタル差別はあるからね。気をつけなくても良いところまで気をつけるんだよ。」

ドイツ留学が決まった私に、英国オックスフォード大学で長いこと教鞭を取っていた教授がメールをくれた。
黒人差別の是正に伴って、はけ口がモンゴロイドに向いていることは残念ながら否定できない、と。
そして、その文脈で忠告をくれた教授の言葉を思い出す場面が、やはり本当に何度かはあった。

新型コロナウイルスの影響が実生活に現れ始めた頃だったということもあるだろう。レジ前に引かれたソーシャルディスタンスの線をうっかり超えてしまった時に、私を指差し何事かを叫んだおじいさん。トラムに乗り込んだ私の顔を認めるや否やスカーフを持ち上げ口元を覆う老婦人。すれ違いざまに「Asian!」と叫んだアラブ系の顔立ちをした親子。
ドイツ語が全然わからなかったから、気付かず流せたこともあっただろう。
幸い身の危険を感じたことはなかったが、あれ以上滞在していたらもしかするとが拭えない。

ハンガリー人の留学生仲間が「チャイニーズもコリアンもジャパニーズも見分けがつかないな!」と笑ったことにも、別に悪意や他意はなかったのだろう。(隣室の韓国人の友人が「まあ私たちはウエスタンとアメリカン一緒に見えるけどね!」と返していて小気味良かった。)でもやっぱり、そうケラケラ笑ったマレーのことを好きにはなれなかった。


この映画が描いた「トニーとドクの友情」を本当の意味で噛みしめることは、同じバックグラウンドを持つ当事者同士でようやくだろうか。
島国で粒揃えと磨かれた私には、やっぱりどうしても、あまりにも遠い。

この映画もエンタメとして楽しく観られてしまった、お気楽能天気平和ボケと言われても致し方ないのかもしれない。

それでも、こういう些細な物語を積み重ねることで世界は変わるのだと、願わずにはいられない。

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