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中秋節とかぎやで風、または革命前夜と復帰展と比謝川のチルー。

月が出ている。
中国にいる友人から中秋節を祝うカードが届いた。
月餅もある。
沖縄にいる放送局員だった先輩と一緒に食事した際に土産でいただいたものだ。
中秋節は家族と食事したり月餅を食べながら団欒するという、中国では。
私は散り散りなので、今どきのやり方、zoomで母との時間を少し持てた。
母とは十五夜の話ができた。お団子をこさえないとね、という認知症の母にはどんな風景が見えているのだろう。私は子供の頃、母がこさえた十五夜セットを思い出したりしていた。そうだね、お母さんお団子作るの上手だったね。ススキをとってきてと頼まれて、河原の土手までススキとりにいった。公団住宅の小さな窓辺で簡易テーブルにススキと団子を供えて、月見をした。
そういえば、はるか昔、中秋節の香港に母といった。
元朗の月餅は手に入らなかったけど、土産に宿泊してたリージェントホテルで黄身入りの月餅を買って帰国した。
そう、香港がまだ英国領だった頃。時は流れた。
今もうあの香港はどこにもないと思うよ、お母さん。
散り散りのわたしたち家族。
月見もできないけれど、一緒に笑って話せた時間が尊い。それだけで十分。
母の記憶が若い頃の私にすり替わっていようが、私があなたの姉妹であってもいい。それが今の母の認識ならそれを受け止めようと思う。
そして、まるで初めてのようにはいかないけれど、
最初にあなたが私に微笑んで、私が微笑み返した、まるで初めてのように
これからも笑って丸い穏やかな幸せな時間を過ごせたらいい。

1年以上ぶりの再会


奇しくもそんな中秋節の夜に、照喜名朝一さんの訃報を聞くとは。
でも私が知るのは、かぎやで風節を歌うその姿しか知りませんが、それだけで一枚のレコードを買い求めたくらいにその歌が私の好きな沖縄の歌になりました。
そして、その歌詞の本当の意味、つまり原歌があったということを今年の夏に知るとは。無知の愚かさに恥ずかしさを感じながらも、奥間までその歌碑を見に行き、その歌の意味を咀嚼するのでした。伊是名島を追われた尚円王が、奥間の鍛冶屋に助けられ、のちに王位に就いた際にその恩返しを申し出て、鍛冶屋を奥間の按司とするという話から、良いことをしたら果報が身に付いたという歌になったのが、現在歌われている歌詞に変化していって、祝いの座開きや初めを祝う歌になったということらしいのだが。今宵は月に悲しみを吸い取ってもらいたいほど、照喜名さんの歌声が朗々と悲しく響く。


香港人にとってのかつての女王陛下もお亡くなりになった。
香港の深夜のテレビで必ず見たあの顔も香港の夜ももう翳り、
先日は『時代革命』という映画から2019年の理工大のデモの様子を固唾を飲んで
パソコン画面から見てたのを思い出し、97年のあの日、しのつく雨の中、船に乗って香港を後にした英国人たちを蘭桂坊の通りの人混みにまみれて大きなテレビ画面から見ていたのを、そして、広州からどんどん行進して入ってくる中共の紅い姿をただただ呆然と見るともなく眺めていた重慶大厦の部屋の小さなテレビ。天井のファンがぶるんぶるんと唸っている音だけがなぜか耳に残っている。そんな夜から、2019年、そして現在の香港はどうなってるのか。そんなことを思いながら、なんだか泣けてきた。

日本の若い世代にぜひ見てほしい

次いで、『激怒』という高橋ヨシキ監督作品を観る。
そしたら、なんという連鎖だろう。80年代から90年初頭にかけての懐かしい映画の現場が画面を通じて蘇ってくるという、不思議な体験だった。
これはどうしたことだろう。黒沢作品に当時よく参加していたし、他にもいろんな映画に参加した。どれも夜を徹したり、少ない予算だったから苦しい部分もあったにせよ、楽しかったという記憶が優先だ。あの現場での空気感は体が記憶してる。恐らく認知症になってもこれは失われないかもしれない。記憶として失われていても体が忘れないんじゃないかとすら思えるほど。衣裳はほぼ自分で選び、演技はあるがままやった。風を感じればそのままだし、表情も視線も狙いではなくあるがままだった。その瞬間が切り取られ、映像に焼きついているだけだ。それにしても、この『激怒』という映画の主人公はカナダから帰国してまだ日本に違和感を感じてならない私に何処か類似点がある。最後の奥野くんとのやりとりの台詞に、それは集約されていた。驚いた。そうそう、奇しくも『勝手にしやがれ!! 英雄計画』街の舞台は富士見町だった。映画をみているはずの私がなぜかあの時の現場の「風」を感じていた。過去の映画と新しい映画に通じるもの。私には「革命」の予感すら。
香港の『時代革命』と日本の『激怒』をみて、これは革命前夜についての映画からもしれないとすら感じてならない。まあ私だけでしょうけれど。
「死者よ来たりて我が退路を断て」。

ぜひ劇場鑑賞をお勧めする作品

革命という言葉で想起させられるのが、沖縄復帰50年の沖縄県立博物館の展示だった。どうしてもみたかったので行ったのだが、最初は良かった、しかし最後まで見て行くうちに肩を落として愕然としてしまった。なぜか。それを確かめるためにもぜひ沖縄県立博物館の復帰展は見るべきだと思う。そしてその展示物を見た後に、ぜひ玄関付近にある資料室に立ち寄ってある一冊の写真集を見てほしいと思った。復帰とはなんだったのか。これは沖縄県民だけではない、日本人が考えなければならないことだという気がする。香港の『時代革命』を見て、『激怒』をみて、私はそう思えたのだ。そして、そのことを家人に話したらとほほ顔になって呆れられた。映画というものは、娯楽でもあるのだが、生きる上での気づき、学びもあるという便利なツールでもあると私は思う。サーミの話やウクライナの話もハンナアーレントも、そして、南仏の太陽もアジアの雨も、闇も光も、映画を通じて体験しないと知らないこと気づかなかったこともあるわけで。

外国語コーナーにある

復帰とは何だったのか。
もやもやしながらコザに向かった。
選挙活動で街角にあちこち立っている人々がたくさんいる。
コザでは着ぐるみを着て街頭応援している姿も見かけた。
この暑さの中。暑いだろうに。
そして、ジリジリと照りつける午後の陽射しに立ち向かう人。
独り旗を翻し米軍基地のフェンスを背に、何か訴えているその口元、声は国道を行き交う車の騒音にかき消されている。
嘉手納の夕陽が車窓の向こうでテラテラと美しい。
比謝川を越えてトリイステーション付近まで行く。
タコスを食べる。
米軍関係者とすれ違う。生の英語を久々きく。
私はここで何をしてるのだろう。
比謝川橋の赤が記憶にこびりつく。
金城哲夫の遺した映画に映る水面は美しかった。
金城哲夫監督作品『吉屋チルー物語』のチルーの面影はどこへ。
必死に探す私。
時は流れているけれど、ひとの心まで流れるのか。
なぜ、人は最初を忘れるのか。
初めての喜び、感動。

必死にとった比謝川
赤い橋

長くなったが、まだまだ書きたいことがある。
だが、今日このへんで。
返信不要。



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