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生きてるだけじゃだめなのか

4ヵ月実家に帰っていない。

たいした期間ではないが、前はもっと頻繁に帰っていたので随分長い時間が経ったような気がする。

実家に帰ると何もしない。いや、日ごろから特に実のあることはしていないのだが、あれやこれやとやりたいことは山積みで。最低家事はやらなければならないし。それが実家に帰るとしなくて良いので(もちろんするに越したことはない)、食べて寝るだけの廃人になる。

頻繁に帰る目的のひとつは姪っ子に会うため。あまり懐いてはくれないのだが可愛くて仕方ない。どんなに造形が可愛い子より、我が姪っ子が世界一可愛い。これは一体どういうことなのだろう。血の繋がりにそれほどの力があるのか。

小学生の頃、父親が授業参観に来た日の夜に「月犬ちゃんが一番可愛かった」とほざいていたので「そんな馬鹿な。わたしより可愛い子はたくさんいる」と思ったがノーコメントでスルーした。あの頃の父親の気持ちがわかる。


年を取るほどに時の流れは早くなり、やりたいことは日々明日に持ち越され焦りだけが募る。その流れが実家に帰ると一旦ストップする。

田舎の老人の生活時間は世界と隔離されているようだ。どうせ何もできないと諦めの境地で母親と話したり、姪っ子と遊ぶだけの一日を終わらせる。

貧乏性で、何もしない時間がもったいないと思ってしまう性分だから多少の後悔はある。しかし姪っ子たちは可愛かったではないか。やりたいことは明日でもできるけど、今日という日の姪っ子とは二度と会えないのだ。母親ともあと何年過ごせるだろう?

何もしなかったけれど貴重な一日だった。そう考えるとしようではないか。

そもそもわたしのやりたいこととは、だいたいしなくてもいいことなのだ。誰のためにもならないただの自己満足。それなのに何かを形に残さないと不安になる。

赤ちゃんは食って寝るだけで毎日を過ごしているのにちゃんと成長している。なのに大人になるとその生物としての基本的なことだけでは生きた心地がしなくて、何かをしなければうしろめたさを感じてしまう。

本当はシンプルに生きているだけで何も咎められることはないのに。人間は難儀な生き物だな。