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育児で多発する子供と親の愛情のすれ違い。

先日友達から子育てについての悩みをちょこっと聞いて、自分の育児を振り返ることがあった。

子育てって言葉から、いつだって親(または大人)がなんでも知っていて、親がいつだって教えて「あげる」立場というイメージを抱きがちなんだけど、実際に親になって思うのは、「大人だって大きくなった子供でしかない」といった感覚。

世の中の全てを知っているわけでもないし、子供に何かを偉そうに教えてあげられるほど新しい情報や今の時代または子供が生き抜く未来の情報をたくさんは持っていない。

あえていうなら「教えてあげる」より「教えたい」。
教えてあげるなんて、烏滸がましいとさえ思う。

「子育て」より「子に親にさせていただいている」「子に人間力を育てていただいている」という意味で「親育て」という言葉の方がしっくりくる。

友達はちょうどイヤイヤ期の子供がいて、それについてどうやって対処している?という話だった。

私も一人しか子供を産んでないし、たった1回の子育ての経験しかないし、子供の個性や特性も十人十色だし、本当アドバイスなんて大それたことはできないんだけども…。

うちの娘はイヤイヤ期モンスターで、それはそれは相当大変だった。ほぼワンオペということもあり、私自身もかなり精神的に追い詰められていた時期もあったけど、あの時を振り返ると、私と娘の気持ちはすれ違っていたな、と思う。

例えば、子供が思った通りにならないことに対して泣き喚いている姿を見て「どうしてわかってもらえないんだ!」「そんなわがままな性格じゃ将来苦労する」「こんなわがままじゃ、お友達ができないよ!」とか、大人は勝手に想像する。

もちろん、それらのことを想う源を辿ってみると子供への愛情からきているんだけど。

でも「今目の前にいる子供を見ていない」ということでもある。
今目の前で泣いている子供じゃなくて、「このまま大きくなったら困る」という「子供の将来」を見ていているような気がする。

「どうして今泣いているのか」「子供は今一体何を訴えているのか」という一番手前(目の前)のことを、意外と見逃しがちなんじゃないかと思う。

大人は子供に対して、幸せな人生を歩んでほしいという願いから「いい教育」とか「しつけ」に一生懸命になりがちだけど、子供が親に求めているものは違う。

子供は親からの愛情を常に欲していて、それが自己肯定などを育んでいると思う。子供の思う親から愛情は、悲しい時に抱っこしてもらうとか、自分の望んだものを与えてくれるとか、意外とわかりやすい愛情だったりする。

親が愛情と思って与えているものは、子供がいつか大人になったら気づくことで、子供が子供のうちに気付けるものではない。

話が少し遠いところまで来てしまったけど、親と子供の間には大きなすれ違いが起きやすい。だからこそ、大人である親の方がその事実に気づき、子供に寄り添い、今目の前にいる子供に想いを馳せられるか、がとても大切なような気がしている。

イヤイヤ期は多くの子供が通る成長の過程で、それをいかにイヤイヤ言わせずスムーズに乗り越えようと考えがちだけど、必要なことだから起こる変化な訳で、コントロールする必要ないと私は思っている。

親が思う幸せになれる性格や人生という願いという親の都合に、子供が付き合っているだけなんだよな〜。

もちろん、それは故意的なものではなくて、それすらも親からの愛情なんだけども。

子供といると、子供と親の距離感が近すぎていろんなことが見えなくなってしまったり、見えにくくなりがち。

だから、結局親の問題。子供をコントロールしたいと思ってしまう傲慢な親の問題で、親が成長すべきポイントに立っている。それに気づくだけでもイヤイヤ期の子供への視線や気持ちが変わるような気がする。
もちろん、それでもイライラしたり嫌な気持ちになることもあるだろうけど。

だから、友達にアドバイスをするんだとしたら、「子供に対処するんじゃなく、自分の心に対処する」といった感じだろうか。

ありがたいことに、今世自分の子供と出会うことができて、一つの命を次の時代に繋げるという、とても尊い作業を手伝うことでたくさんのことに気付かされ、愛される喜びや愛する喜びを感じてる。

子供のいる人生といない人生、どちらかの方が優れているとかそんなことは一切ないと思うし、どちらも素晴らしいことではあると思う。
ただ、私には子供を持つということは必要なことだった。

我が子を自分の人生に迎えて6年。このたった6年で、数えきれない大切なことを子供から教わり、気づかされてきた。
そして、きっとこれからも。

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