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宝塚花組 「鴛鴦歌合戦」観劇録

注意:
ネタバレしていますので、まだ見ていない人でストーリーを楽しみにされている方は(はばかりながら)またのお越しをお待ちしております。

オペレッタ・ジャパネスクってどんなジャンル?と思ってたら、オペレッタは日本語で喜歌劇と訳されるらしい。すごく面白かった。はじめての体験!

動きもセリフもコミカルで、テンポがよく、歌も踊りも多くて明るい気持ちになった。

1939年の白黒の映画を舞台にリメイクしたの、あっぱれ!と思う。84年も前の古い映画をよく掘り起こしたな、と。教養の広さに憧れる。(そう!わたしは教養を感じるとキュンとするのだ)

丹波守の跡目騒動というオリジナル要素を組み入れたってことで、日活株式会社と権利の調整などを頑張ったんだろうなと想像する。おかげさまで話のスケールが大きくなって麗姫(うらら姫・春妃うららさん)など新キャラクターの意図や考えが交差している。ストーリーに深みが出たと思う。

すごくよかった。。。楽しんだのだが。。。だからこそ残念に思うところもあって、勿体ないなと思った。

なんで浅井礼三郎(柚香光さん)のキャラをモラハラ仕様にしたんだ・・・・。スターなのに。

こんなキャラは好きになれない。いや、浅井礼三郎も柚香光さんも、別に私に好かれる必要はないのだけれども。

そんな意図はさらさらないことは百も承知で、言わせてほしい、言わせてください、お願いします。

礼三郎を好きになれないシーンがふたつあって。ひとつは山寺のシーンなのだが・・・

その前に一歩下がって、お春(星風まどかさん)の父・志村狂斎(和海しょうさん)は毒親だという話をしたい。

食べ物に困るくらい稼ぎを全部骨董につぎ込んでいる。(おまけに骨董の鑑識眼が際立ってダメダメだから始末が悪い)家計をともにするお春には、お金の使い道を一切相談していない。

お春が未成年なら児童虐待だし、成人してても経済DVだ。どこに出しても恥ずかしい立派な毒親でしょう。

江戸時代っぽい設定なので、こういう家父長的な父親は多かったと思うし、時代考証的には正しい描写だと思う。

だが、それを2023年に公演するときにこの父を肯定的に描写するのは違うだろ!!と思うわけです。(借金のカタに娘を売らなかったら、それだけでイイ父親ってわけじゃないからね💢)

山寺のシーンに戻りたい。

元の映画を見ていないので、原作と共通の描写なのか、小柳奈穂子さんオリジナルなのかわからないのだが、お春(星風まどかさん)が父の志村狂斎(和海しょうさん)のお金の使い方に対して愚痴をこぼすところで

なんと、浅井礼三郎(柚香光さん)は

「お父さんを悪く言うもんじゃない」みたいなことを言うのだ。まじか!

仮にお春(星風まどかさん)が「父は毒親だし、死んだ方がいい」と言ったら、私もちょっぴりギョっとするかもしれない。

でも、私が見る限り、お春は父親の【人格】は否定していないのだ。有り金を全部骨董に使ってしまう【行動】を非難しているのだ。




その後、礼三郎は自分の不遇な生い立ちを語りだす。
両親の庇護を受けられなかった礼三郎は確かに苦労したと思うが、
養父には愛情と教育と剣術と木刀削りの職能まで授けてもらっているのだ。

そして容姿も美しく、複数の女性から好意を寄せられている。要はモテてる。

これはめちゃくちゃ恵まれてるでしょう!
貧乏かもしれないけど、お金以外の全てを持っていると言える。

モテない男性諸君が礼三郎のことを知ったら、たぶん嫉妬で爆発すると思う💥

礼三郎の養父が素敵な人だからといって(或いは生みの父や亡くなった養父が恋しいからといって)
この世の父親全てが人格者なわけじゃない。当たり前の話。

自分の養父(或いは生みの父)と
他人の毒父を同一視して、「(たとえ虐待されてても)父親を悪く言うな」というのはダメでしょうよ。抑圧だよ。

「自」と「他」の境界線(バウンダリー)を礼三郎には是非意識してほしい。
こんな家父長的な思考だと礼三郎も毒夫・毒親になりそうで心配になる。

唯一の救いは、星風まどかさんがパンフレットに寄せていたコメントで

「せっかく稼いだお金を父親が全て骨董に変えてしまっていたとしたら『お父さんのバカ』じゃ済まない気がするんです(笑)」。

その通りですよ!!!!!!よう言うてくれた!!!!!
星風まどかさんの自尊心サイコー!
父親であれ、ダメなことをしたら怒っていいんですよ。

星風まどかさんはジェンヌさんだから、わたしみたいにキャラクターを好きに批判できないでしょうし、この表現が限界だと思いますが、オフレコで星風さんが志村狂斎のキャラをもっとケチョンケチョンに言うところを見てみたいと思った。

次は、礼三郎の唐突な「私は金持ちは嫌いだ」のシーン。

パンフレットに掲載されている小柳奈穂子さんの解説によると、小柳奈穂子さんは原作映画のマキノ監督の自伝を読んで、この台詞は監督の本心だったと思う(要約)とあった。原作へのリスペクトが込められていると思う。

小柳奈穂子さんが咀嚼して解釈しているところが素晴らしいな、作品への向き合い方がプロだな、と頭が下がる思いだ。

でも、この台詞はやっぱり礼三郎のキャラを傷つけていると思う。

「え?礼三郎は、お春が貧乏だから好きだったの?」と観客に解釈される恐れがあるよ。わたしはそう思った。
お春の中身は何も変わっていないのだ。なのに金持ちになったら愛情がなくなるの?

それとも礼三郎は「私は金持ちは嫌いだ」と言うことで、
お春がお金を捨てて自分との生活をとるか、
金持ちとして生きるかを試したの?

「お金と俺、どっちが大切なの?」ってやつ?

(なお、私観測では「仕事と私、どっちが大切なの?」って実際にパートナーに聞く女性はいまだに一度も見たことも聞いたこともない。なので、こんな男もフィクションの中だけだと思いたい)

お春を貧乏だから好きだったにしても、
お春を試したにしても、
どっちにしても礼三郎は性格があまりよろしくない…とわたしは思う。

これがね・・・たとえば
「君のことは好きだけど、俺は金持ちって柄じゃないし、金持ちな生活はちょっと居心地悪いからさ、…お春は素敵な人を見つけな」
みたいなアサーティブな言い方だったらいいのにな。アサーティブとは、相手を尊重しながら自分の意見を主張する姿勢のことです。

その後のお春の行動は同じ。これでも十分、面白いと思うんだけどな。どうかな。

素人なので、センスのないこと言ってたらごめんなさい。

キャラが好きになれない礼三郎とはいえ、観客席に現れた瞬間は座席からお尻が一瞬浮くくらい舞い上がったよね。
柚香光さんから半径数メートルの至近距離は重力がなくなるんだと思う。笑。

それから、丹波守(永久輝せあさん)の殿さまの歌が好き。浮気者のエロ殿様で、放蕩してて困ったキャラだが永久輝さんが憎めない感じに仕上げてくるのはさすが。
ストーリーはコミカルで、秀千代(聖乃あすかさん)が銀橋から覗きながら下からでてくるシーンと、家督はイヤイヤーってする姿が目に焼きついている。可愛い。
(あとショーで、エルビス・コステロのSHEを歌ってくれて❤️❤️❤️それもスキ)

全体的に男役はダメなキャラが多くて、娘役はしっかり者で聡明なキャラが多いと思った。

例外は、おとみ(星空美咲さん)と三平(天城れいんさん)でしょうか。
おとみさんの礼三郎への猪突猛進な愛はすごいですね。押して押して押しまくる。
一方、三平は「お嬢様に恋敵になってほしくない」と、わりとアサーティブな伝え方ができるEQ高め男子。(EQ=心の知能指数)。礼三郎さん、三平さんを見習ってください。お願いします。

楽しい作品なので、気持ちを楽にして見てほしい。

お春が悔しがるときに「チェ😕」っていうけど、イマドキ聞かないから、なんか不思議な感じ。イマドキの言葉ならぴえん、とかかな。それも死語かな。

観劇後は、礼三郎は祝言をあげた後でモラハラ夫に豹変すると思うか?って話題で見た人と一緒に盛り上がりたい。

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