見出し画像

死ぬとは


子供の頃から、よく、意識を失った。


それは小学校低学年の頃に、足の裏のマメが破けて血が出てからだった。

足の裏から血が出てきたのを見ながら片足で立っていたが、気が付くと布団の上でぼんやりと目が覚めた。

母が「息をしていなくて、死んだかと思った」と言って泣いていた。

それまでも怪我をしたり、血を流すことはあったが、その時から何が変わったのか、血を感じると意識を失うようになってしまった。
ほんの少しの傷だったとしても。話を聞いただけでも。本を読んだだけでも。

それは、血を感じた時だけ卒倒し息をしていないこともあると言った、過激で可愛げもなくタチの悪いものだったので、よく意図せず同級生を驚かせたり笑わせたりしていた。
(これを読んでニヤニヤしている友人もいるだろう)

文章にするまでもなく、血が苦手な医者がいるという冗談をよく聞くように、ある程度の人が経験していることかもしれないが、私にとってはその

「血を感じてから完全に意識を失うまで」

の時間がとても異様なものに感じる。

紙で指を切っても、手が滑って彫刻刀が少しかすっても、健康診断で採血をしても、同級生がミシンで手に穴を開けても、担任の先生が道徳の時間に小学生が同級生にカッターできりつけた事件を話しても。

別に死ぬほどの恐怖が差し迫っているわけでも、特別痛いわけでも、毎回大きなショックを受ける訳でもない。
「あ、気持ち悪いな。そろそろダメだな…」というだけのことも多い。

フランス人はオーガズムを「小さな死」と表現するらしいが、私にとってはいつからか意識を失うことが小さな死のように感じている。

血を感じて、不快感と「またアレが来る」という不安感が襲ってきて、徐々に脳がぼんやりしてくると、次に目が霞んで周りが見えなくなり、周りの大丈夫?と心配する声も聞こえなくなり、動くことができなくなり、記憶が途切れ、完全な無になる。

それは予測できても克服することのできない時間を私に与え、死を連想させる。

実際、目を覚ました時は、頭を床や金属にぶつけていたことも少なくなく(前歯を折っていたことも…)、そうやって起きるたびに、もしかしたら知らない間に死んでいたかもな、と感じる。

きっと、死ぬとはこうやって最後には感覚がなくなって、苦しさもなく、もしかしたら気付かずに終わるのかもしれない、と勝手に解釈している。

その感覚は、私に生きる気力を与えるでもなく、辛い記憶を与えるでもなく、死の予行練習をさせられている気持ちにする。

今はできるだけ避けているけれど、年に1回くらいは健康診断の採血もあるし、ホラー映画も好きだし、これから先も続くんだろうなぁ。



暗い話じゃないよ。

みんなの小さい死の体験談も募集中。


幽体離脱の話は特に募集中。


おわり