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のらいぬ放浪記5.富士川水運歴史館

先日、久々の山梨への帰省ついでに国道52号をぶらりとドライブしたところ、「富士川水運歴史館」なる新ミュージアムがオープンしていたので立ち寄ってみました!


富士川水運歴史館とは


富士川水運歴史館は、山梨県富士川町(旧鰍沢町)にあるミュージアムで、今年の春先にリニューアルオープンしたばかりとのこと。
隣の「近代人物館」とあわせて、「富士川歴史文化館」という建物のなかに入っています。


川沿いの国道52号。川の対岸は切り立った崖。

富士川沿いの、対岸が直ぐ目の前に迫る川筋にミュージアムは建っています。

河岸の蔵をイメージした建物。

これから紹介するように、富士川町はかつて富士川舟運(しゅううん、と読みます)によって栄えた地域で、ここではその歴史などを紹介しています。

ちなみに、ここは昔は「塩の華」という観光施設でお土産などを売っていました。
子どものころ、社会科見学などでバス移動するときは必ずここでトイレ休憩を取ったものです。懐かしい…


富士川舟運の歴史

山梨県はもちろん「山の国」でありますが、じつは「川の国」でもあります。
甲府盆地を流れてきた笛吹川と釜無川は、盆地の南側で合流し、合流地点より下流は富士川と呼ばれています。

この富士川を使用して荷物を運んだのが「富士川舟運」で、江戸時代初期に角倉了以(京都の高瀬川を整備したことで有名)とその息子・素庵の富士川開削事業によって軌道に乗りました。

甲斐国・信濃国からは江戸に向けて米を送り、江戸・駿河国からは塩や海産物がもたらされました。

江戸時代が終わり年貢米の輸送という役割を終えてからも重要性は変わらず、明治期には絶頂を極めましたが、富士身延鉄道(JR身延線の前身)が開業すると急速に終焉へと向かいました。

ミュージアムの見どころ

展示室は広いわけではありませんが、実物資料・映像展示・古写真パネルとひと通りはそろっており、かなり充実しています。

展示室のど真ん中に大きい舟。

一番の見どころは、やはり(実際に使われていた)舟の展示でしょう。
なんと、この巨大な舟を船頭4人で!たった3〜4日で!河口からここまで曳いてくるというのですから驚きです。
しかも、当然荷物も乗っている訳です。

ごく一時期、この舟に飛行機の動力をくっつけた「プロペラ飛航艇」なる珍品が運行していたようですが、この重労働を思うとそんなアイデアも出てくるだろうね…と感じます。
(音がうるさすぎるのと運賃が高いのとで、すぐにボツになったようですが)

幻のプロペラ飛航艇。

旧家で所蔵している絵図のデジタル化や、断絶してしまった祭礼の復活など、近年の新しい取り組みも紹介されているので勉強になります。

運ばれてきた荷物の積み下ろしを行う鰍沢河岸(かじかざわがし)の発掘調査も行われています。
発掘は県が実施した関係で、出土品は山梨県立博物館や山梨県立考古博物館のほうで展示されています。

鰍沢河岸出土品の展示(山梨県立考古博物館)。


江戸周辺以外の城下町でもないところで、近世〜近代の遺跡の発掘が丁寧に行われ、その成果がきちんと紹介されているのは案外珍しいのではないでしょうか。

鰍沢 繁栄の面影

かつて富士川舟運によって繁栄した鰍沢市街地も、現在はシャッターの下りた店舗が多くなり、街全体になんとな〜く寂しい差雰囲気が漂っています。
しかし、まちなををよく観察してみると、手の込んだ近代建築がかなり残っていて、繁栄の面影が十分に感じられます。

 発酵食品店。なんと現役。

青柳地区の江戸時代から続く酒蔵・萬屋醸造店もそのひとつです。


甲斐の銘酒といえばここ。

萬屋醸造店の代表銘酒・春鶯囀(しゅんのうてん)は、6代目のご当主と親しかった与謝野晶子がこの地に宿泊したさい、

法隆寺 などゆく如し 甲斐の御酒 春鶯囀の かもさるる蔵

という短歌を詠んだエピソードから名前を取っています。

当時の一流文化人・与謝野晶子&鉄幹夫妻と親しくするような立場の人がいたことから、鰍沢の文化的水準の高さが窺えます。

現在は、酒蔵としての営業のほか、旧い蔵を改築した貸ギャラリーなどもやっています。
昔は与謝野晶子が実際に泊まった建物で珈琲を飲めたりしたのですが、今はやっていないようです(珈琲自体は飲めます)。


甲斐の銘酒といえば「七賢」や「笹一」の方が有名ですが、こちらの「春鶯囀」もまったりと優しい味わいで私は好きです。
帰省のときは、たいていお土産に買っています!

富士川沿いの地域においでの際は、是非ともお立ち寄り下さいね。

持ち送りにも徳利とお猪口。

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