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いないことを証明することは難しい。 究極的には説明できないと思っている。本当はいるのかも…
僕の表現では、どうやらいつも"いない存在"について考えてしまうらしい。 でも前からそうだっ…
僕たちの劇団が拠点としている公園。 “公園を拠点としている”というところにいささか違和感…
移動について。 人は歩いたり走ったりする。自動車に乗ったり自転車に乗ったり。 移動は僕にと…
演劇(舞台芸術)は、映画や音楽と違って複製不可能なもの(コピーして楽しめないもの)であるから…
作品の内容を作るのと同じくらい、その集団(座組)をうまく構成させるというのが、表現として重…
演出家の仕事が舞台上を”観ること”で、その上で"そこにいられる方法を考える"だとしたら、その方法に演出家の仕事の数々が表層的に現れてくると思っている。 そこにどのような思想を持っているかで、作品の好き嫌いが分かれる。 私としては、”そこにいられる方法”は役者及び役者以外の物(オブジェクト)やそれ以外の存在に対しても当てはめたい。 なぜ、そこに有るのか。 舞台上の存在には4種類のあり方があり得る。 ・あるもの。(見える、聞こえる、観客の全員が認識しているもの) ・あるけどない
演出家の最大の仕事が”観るためにそこにいる”だったとして(まあ当たり前のことなんだけれど…
”演出”という言葉にあまりしっくりきていない。 そもそも具体的に何をもって演出というのか…
物との関わりについて考える。 物は、thingsとかmaterialとかfigure、もしくはobject。 ここで…
テントがテントたる所以に、抵抗の態度が含まれているのはおそらく本当のことだと思う。 ”な…
これはあれだな的にいうと『悪は存在しない』はコンヴィヴィアル・テクノロジーで言うところの…
”自然”には本来の意味の自然(一般的にイメージされる『自然豊かな』の自然)と、人工的に作ら…
演劇というのは境界線を扱う行為(ゲーム)である。 必ずしも作家がそのことを考えていなかったとしても。 必ずしも作品の主題がそうでなかったとしても、演劇は常に境界線を扱っている。 演劇におけるドラマの所在は常にそこにある。 何と何の境界線を描いているか。 最も単純な答えは"現実と虚構"ということになる。 役者は生身の人間で、必ず自身の生活を引きずっていて、その生活と役の人生を重ねて生きることになる。だから役者の身体には実人生と虚構としての人生が送られることになり、その2つの人