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弥助は黒人侍か?ーー弥助の歴史的評価を冷静に考えてみた【トーマス・ロックリー問題】

ポリコレ・フィルターを通した評価が”人物”が持った本来の存在意義を損なわせている

”侍”だった場合:残念な評価になる弥助

「”弥助=侍”説以外は認めない」と主張している国内外の人の声で、ちょっと気になることがあります。それは・・・

侍に何か期待しすぎじゃない?

「侍は日本人だけのものではない!」とかいう主張に至っては・・・「ちょっとまずは落ち着こうか」と。とんでも主張に、言いたいことが山ほどあるにも関わらず、言葉を失うという奇妙な感じにこちらもなってしまいます。侍に何か期待しすぎじゃない?というか、何というか・・・。

アメリカのWOKE(極左で、とんでも平等論<DEI>を叫んでいる人たち)さんとは違いますので、侍のコスプレしたり、チャンバラごっこをしたりするのを「文化盗用!」とは全く思いません(WOKEは日本人以外が着物を着ると文化盗用と叫ぶ)。むしろ「日本文化、歴史に興味を持ってくれてありがとう」なのですが、「俺の祖先は侍だったが日本人がその歴史を消した」みたいなことを言われると、流石にそれは・・・。好きすぎるが故にかえってヘイターになってしまう一部の熱狂的アイドルファンみたいなヒステリーを感じます。

おそらくこの状態の人に、建設的な議論を進めようとしても無理。

というわけで、そいういう謎の弥助ファンには、弥助が侍だったかどうか?ご本人に選んでもらったらいいんじゃないかと。ただし・・・

弥助は、”侍”じゃなかった方が評価が上がるのですが。

本能寺の変の時の弥助については、イエズス会側の記録に残されています。「日本人の歴史改竄が〜!」なんて言っている人たちでも、イエズス会の記録ならご満足いただけるのではないでしょうか。それによると、敵に降伏を促された弥助は、それに従い、武器を相手に渡したとされています。

弥助が侍だった場合、こんなに簡単に降伏するのは、
”最強”どころか、”侍”として残念な行為ではないでしょうか?

主君への忠義という本人しか知りえない部分は、ひとまず置いておいたとして。当時の敗けた側のサバイバーたちには、飢えと乾きに耐えながら”落ち武者狩り”から逃れる・・・と過酷な行く末しかありませんでした。落ち武者狩りを行うのが地元の農民とはいえ、武装した農民集団に囲まれれば、生きる残ることは難しかったと言われています。

”負ければ死”なのに、武器をそんなに簡単に渡すものでしょうか?

信長に気に入られていた弥助ですが、当時の戦い方については、あまりよく知らなかったと考えた方が自然ではないでしょうか。さらに、弥助が最強の侍だとすれば、この行動がもっと大きな問題となります。

重要な役割のある、最強の侍であるならが、敵に殺される前に自決し、
自分の首が相手の手に渡らないように、死んだ身体を燃やす等するべきでは?

「弥助=侍」の場合、明智光秀が弥助を殺さなかったことも、弥助の評価を残念なものとしてしまいます。

「生かしていても、信長の復讐をしようとはしない、または復讐を企てたとしても自分の命が危うくなることはない」というのが、光秀の弥助に対する評価だから。

これはもう侍として辱めを受けたことになるのではないでしょうか?どんなに「弥助は勇敢に闘った」と言っても、”本能寺の変で死ななかった””明智光秀に殺されなかった”という史実が残されている以上、弥助が侍だとすれば、かなり残念な侍だったとなってしまいます。

そもそもトーマス・ロックリーの”最強黒人侍・弥助”説では、「信長の首を弥助に持ち去られた、明智光秀は、敵将の首を持ち帰るという戦国武将の慣習通りができなかったことで、すぐに秀吉にやられてしまうことになった=弥助が日本の歴史を変えた」となっていますが、弥助が本当に国の歴史を変えるような最強侍であるならば、自分の首を敵将に容易く渡すような行動(敵に武器を渡し、降伏すること)が矛盾します。一見すると正しそうでも、よくよく考えると矛盾だらけーーこの辺りは左翼・共産党・WOKEあるあるですよね。

”じゃない”場合:敵将からも評価された弥助

一方、弥助が侍でない、単なる信長の付人的なポジションだとすれば、彼は経験したこともないような地獄絵図の中で、勇敢に闘った、侍魂を持った人という評価になります。この場合、明智光秀の「黒人は動物だから殺さなくて良い」という発言も、侍ではないのに勇敢に闘った弥助に対する敬意があった故ではないか?という仮説の理由付けにもなり、ひいては、敵の大将からも一定の評価をされた人物ということになります。

「弥助が最強の侍か?」といえば、降伏した時点で、最強どころか、「侍としてどうか?」という疑問点が出てきますし、「日本史を変えた侍か?」と言われれば、「全く違う」としか言えません。しかし、侍じゃないから評価されないわけではなく、様々な点から弥助が侍ではないと思えるからこそ、逆に「弥助、すごい!」という評価につながると思うのですが。

人種ではなく、賢さや人間力で評価されるべき弥助

今回のTL(トーマス・ロックリー)騒動により、弥助に関する記録はほとんど残っていないということが広く知られるようになりました。そのような中、弥助という人物について推測する手掛かりとなるのは、やはり彼を取り立てた”織田信長”になるかと思います。性格面ではネガティブな評価も多い信長ですが、彼が戦術だけではなく、広い意味でとても賢い人だったという点については、おそらく否定する人は少ないのではないでしょうか。特にうつけものを演じ、世間を欺いていたこと等、中途半端な賢さではなし得ないことです。

そんな信長が身の回りにいさせて良いと考えたのが弥助です。弥助が身体の大きい、珍しい肌の色をした人物だというだけで、信長は弥助に刀持ちを任せたりするでしょうか?もちろん、彼の外見を利用したパフォーマンスとして、連れ回るということはあったかもしれません。しかし、もし、弥助が信長の望まぬ態度、行動を取るような人物であれば、信長は決して弥助を側にはおかなかったでしょう。

織田信長の側近には、豊臣秀吉や森蘭丸、そして、最後は敵となってしまった明智光秀等がいますが、彼らはそれぞれ飛び抜けた賢さがあったとされる人たちです。これは戦国時代の事情を考えれば、当たり前と言えば当たり前なのですが、この時代、頭の悪い人を身近に置くと、それだけで命取りとなります。

外見の珍しさや相撲の強さだけで、側近にするほど、信長はバカではない

弥助が黒人であることだけに注目しているポリコレさんたちに強く伝えたいことは・・・。

弥助が評価されるべきところは、彼が黒人であることではなく、
”あの”信長に気に入られた”賢さ”があったという点。

日本文化、侍のあるべき姿を熟知した日本人侍でさえ、信長に気に入られることは容易ではなかった中、異文化で育ち、言葉もネイティブではない弥助が、信長の側近でいられたことからも、かなり頭の良い人だったのではないかという推測ができます。弥助が侍かどうか?よりも、信長に気に入られ、側近になれた賢さの方が評価されるべきではないでしょうか。

だって、”あの”信長だよ?

さらに、賢さだけでなく、人柄も良かったんじゃないかなという推測もできます。それは同じく信長の側にいた、明智光秀の本能寺の変後の行動にも現れています。

「黒人は動物だから〜」という理由から弥助を処刑しなかったというエピソードにおいて、光秀のこの発言が差別的なものなのか、それとも弥助を助けるための方便だったのか?というのは、光秀のみが知るものです。しかし、戦国という時代背景を考えると、光秀が弥助を殺すのはとても簡単なことですし、殺す理由も十分にありました。

それでも殺さなかった。
・・・ということは、殺さないでおこうと思う理由があった

はずです。殺さなかったという行為の大前提には、弥助が光秀に復讐しない(できない)というのがありますが、その前提があってもなお、光秀が弥助を処刑をすることは簡単なことでした。イエズス会から「弥助を殺さないでくれ」と言われたわけでもありませんから、戦術的な意味合いから助けたわけでもありません。

外見が珍しかったから?

それならば、信長と同じように、弥助に刀を持たせ、側に使えさせるということもできたかもしれません。しかし、それをしなかった(できなかった)のは、弥助と信長の関係を間近で見たものとして、弥助が主君を容易に変更できるような人物ではないと思ったからでしょう。また、言葉通り、本当に弥助を動物だと思っていたのならば、弥助を捕らえて監禁し、見せ物にするということもできました。

しかし、光秀の選んだ選択肢は、弥助を生かして、南蛮寺に帰すというものでした。この選択肢を選ぶにあたり、光秀が得られるメリットが一切ないのです。だとすれば、光秀が「殺さないでおこう」と思えるような”何か”が弥助にあったということになります。この”何か”を考えた時に、昭和風の言い方をすれば、弥助は愛されキャラだったのではないか?という推測が出てきます。それ以外、思いつかないような気がします。

繰り返しになりますが、光秀が弥助を逃したシチュエーションは、当時の慣習からは、”殺す”選択肢よりも”殺さない”選択肢の方が説明が必要な行為であり、光秀には、弥助を殺さないという意思があったということは明らかです。そして、それは肌の色や身体の大きさへの評価からではなく、弥助という人物に対して評価していたからではないかと思います。「昨日の味方は今日の敵」というような過酷な戦国時代にあって、1年ちょっとの間に、これほどの人物評価を得られることができたというのは、彼が侍かどうか?よりももっと議論されるべきことではないかと思います。

弥助が評価されるべきは、彼の肌の色や、”侍”という肩書きではありません。奴隷として、無理やり日本に連れてこられた外国人であるにも関わらず、侍社会について一定の理解をし、それに馴染み、侍魂を持っていたとさえ考えられる点こそ、評価されるべきではないでしょうか。

弥助問題に限らないのですが、私がポリコレやWOKE、DEI・・・等々の活動家が嫌いな理由は、彼らは肌の色や体型、性的嗜好等で人間の評価、人格、能力等々を決めつける傾向があり、一人ひとりの人間を見ようとしないことです。弥助が黒人侍だから素晴らしいみたいな論調は、弥助に対してとても失礼。きっかけは”外見”だったにせよ、信長や光秀が特別な計らいをしたくなるような”何か”が弥助にはあったはず・・・だと思うと、その”何か”が知りたくて、弥助に関する資料が残されていないことが本当に残念でたまりません。

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