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わがままに撮る, 私の写真


ストックフォトで写真を販売することが習慣化しているからか…
どうも近頃、欠点を指摘されない様に意識したり…状況を分かり易く表現する方向にばかり気を取られたりしている気がします。

別にノイズが多かろうが黒潰れしていようが…
伝わるものがあれば、それだけで十分。
…と、思ってはいるものの、絵面の見栄えに気を取られて…腹落ちするような表現に仕上がらないまま撮り続けている現状に疑問を感じる様になりました。

最近、ブームのおかげか…フィルムで撮られた写真を目にすることが増え、非常に興味が湧いています。
最終的にモニターで見るならば、わざわざフィルムを通す必要があるのか?? …現像処理でフィルムシミュレーションのプラグインを挿すのと変わらないんじゃないか??
という、否定的な見解もあるかと思いますが…
特に中盤フィルムで撮られた写真を見ていると、なんとも言えない実存感が加わっている様な気がしています。

音の分野でも…プラグインソフトだけで完結させずに、アナログ回路を通すことはポピュラーな手法として浸透しています。
上手く言葉で定義しづらい何かが加わっているという実感を頼りに、自分の撮影手法のなかにもフィルムを取り入れて行けないか…探究心をくすぐられます。

根拠のない主観の話ですが…フィルムで撮影された写真を目にした時、具体的な被写体への理解が始まる前に…一瞬何かを感じる間のようなものが発生している気がします。
その間が…写真を客観的な鑑賞対象として認識させ、明確に映し出されているもの以外の部分を想像によって補完させるように働きかける要素になっているんじゃないかと言うのは…考え過ぎですかね?!…

いずれにしても…販売する為だけではなく、表現を楽しむという方向で写真を撮る楽しみを最近忘れていたので…
山登りをしながら、楽しくわがままに写真を撮ってきました。


用水路に木漏れ日が差し込んでいた…陽の当たる部分だけ底の石まで透けて見えて、暗い森のなかで宝石を見つけた気分になった


肉眼では黒潰れしている部分も見えている状況だったが、あえて情報を削ることで水面に反射した夕方の空…特に薄暗い夕暮れ時に愁を感じる色の美しさを表現したかった


ダムの放水量が多く、洪水を思わせる荒々しい水しぶきと音に災害の様な不穏な空気を感じ…粗い画像処理と退廃的な色味で表現しています


私の愛用しているザックです


登山道に入ってすぐのところで後ろを振り返ると…小道の先と自分がいる場所との明暗差で森に入り込んだことを実感します


日常的な行為は目的意識が軽薄になりがちで…何かきっかけがないと、現状を見直して適切なポジションから物事を判断するのが難しくなる気がします。

今回は、よく知らずに….なんとなくスルーしていた事のなかにも、きっかけを得られる刺激が潜んでいるというのを実感した話とともに、
「気づかないうちに、いろんな事に捉われ過ぎてませんか?? …
自由にわがままに好きな事を表現することは悪い事じゃないと思いますよ!!」
…ということが伝えられるんじゃないかと思い、記事にしてみました。

見て頂き、ありがとうございます。
これから夏本番…暑さも楽しく乗り越えられると良いですね !!


2024年7月



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