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足助のおばさんと介護 177

前回の書き込みが、おばあさんが入院して二日目の土曜日のことです。夫と「かなり良くない」認識は持ったものの「あと一週間」といういくらか余裕があるものと思って就寝した翌朝6時、我が家の固定電話が鳴りました。こんな時間にベルが鳴るのはよくない知らせに間違いありません。私が階下の子機で電話を受けると案の定「足助病院の○○です」と看護師さんが名乗られました。日曜日の早朝です。

私は、即座に子機を夫の寝ている部屋まで持っていきました。いつものように半分酔っぱらっている夫に受話器を渡し「私が運転していくから、10分で着くってゆいん(言いなさいの意)」とせかしました。夫も私も何とか出かける支度を整え、夫の愛車「ルーミー」を私が運転して駐車場に着いたのが6時20分。病棟に駆け付けたのが6時30分です。おばあさんは個室に移されていました。前日に私が見舞った時より肌が白く見えました。夫はおばあさんの肩をたたいたりしていましたが、私はもうおばあさんに触れる勇気がありませんでした。

看護師さんが来て、おばあさんの様子を教えてくれました。4人部屋にいたおばあさんは、ほかの患者さんと同様夜中に数回の巡回があり、やはり「水を飲ませてほしい」と言っていたそうです。夜中3時まで意識があったわけです。それが5時に意識不明になり、我が家へ電話があったのが6時。私たちが到着した6時半にはもうこと切れていたように思います。6時40分に改めて医師による死亡診断がありました。

霊安室に移動して、おばあさんの体の清拭をし、看護師さんが着替えさせてくれました。突然と言えば突然ですが、想定された事態ではありましたので、速攻JAあいち豊田サービスのフリーダイヤルに連絡を入れました。霊安室まで迎えが来てくれて自宅へ運ぶ段取りが取れました。

さてこの日、私は重要な用向きがあり出かける予定でした。そのために土曜日におばあさんを見舞ったのです。また、通夜が火曜日、葬儀が水曜日と決まりました。夫が「今日はおばあさんと二人で過ごすから、予定通り出かけていい」と言うので、私は化粧もしないまま会議に赴きました。(続く)82023年12月24日 記)

(元ブログ Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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