足助のおばさんと教育 57
英語をマスターすると言うこと (in Australia)
私は、2週間しか授業を受けられないので、始業5分前には教室にいて、クラスメートの名前をテキストに書いてもらったりとかしてましたが、始業時間に教室にいるのは、たいがい日本人か台湾コリアのアジア人でしたね。月曜のガイダンスでは遅刻は10分までしか認められない、と言われてたのですが、30分過ぎても平気で入室してくる学生がたくさんいました。また、授業中に中座する生徒も多く、それもこそこそと出て行くわけではなく、平然と先生の目の前を通って出て行くのには驚きました。みんなはるばる海を越えて勉強しに来ているのに、もったいないという気持ちはないんでしょうね。自分の都合が最優先なわけです。
そんな生徒たちに向かって授業をする側の先生たちも、百戦錬磨のプロフェッショナルです。学生も多国籍でしたが、先生の方も多国籍で、世界中の国々で英語を教えてきた経歴の先生たちでした。
「オーストラリアへ英語の勉強に行く」と言うと、よく「オーストラリアの英語は訛っているのではないか」と尋ねられました。確かに訛ってはいましたが、生徒の方がお国訛りが激しくて、かえって生粋のクイーンズイングリッシュを学ぶより、国際的に実践的な英語を学習できたという点ではよかったと思っています。日本人に「L」と「R」の発音の違いが難しいのと同様に、国によって苦手な発音と言うものがあり、日本人にはまるで別の音に聞こえる「Y」と「J」の発音について説明されたりすると、そんなの当たり前じゃないのと思いましたが、おそらく彼らも同じことを思っていたでしょう。
生徒の訛りだけじゃなく、大学には大勢のスタッフが働いていましたが、彼らの英語もまたおおいに訛っていました。インターネットを通じて、英語が世界語となりつつありますが、文字にした言葉は同じでも、人によって発音が大いに異なること、そのお国訛りをどこまで許容できるかが英語をマスターすることではないかと考えた次第です。(2009年9月27日 記)
(元ブログ 英語をマスターすると言うこと (in Australia): Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)
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