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足助のおばさんと介護 162

新年を迎えてようやく母の施設の中まで訪問することができるようになりました。とは言え、そもそも訪問する家族もいないような居住者も多く、今日、私が訪ねたのが第1号ということになります。
母が施設で暮らすようになった経緯は、2019年の「2度目の連句フェスタ宗祇水」として4回に分けて掲載した記事からぼちぼちと触れています。大まかに振り返ると「熱中症で自宅療養(私が実家に滞在)」→「入院」→「一つ目の高齢者施設」→「現在の高齢者施設」→現在に至る、ということになるのですが、現在の施設に移る時がちょうどコロナウィルスが広がった時期に重なり、入居からこちら母の部屋を訪ねることは不可能でした。
「訪問が許可された」ものの、検温やマスクはもちろん、「ワクチンの接種済み」「陽性者との接触なし」等、ハードルが高いのはやむを得ません。ただ、これまでは母が自力で居室へ運ぶしか方法がなかった品々を私が部屋まで届けることができるだけでも、たいそうありがたいことです。
施設での暮らしは、食事や入浴、洗濯などの時間帯が決まっていて、父亡きあとかなり勝手気ままに暮らしていた母にはたいそうこたえるようです。入居当初から、「小さい」「小さい」と母が愚痴を言っていた冷蔵庫はツードアの冷凍冷蔵庫が買い足してありましたが、冷凍庫が霜だらけで容積が小さくなっていました。説明書が置いてあったので、私が「霜取りをしてあげよう」というと、とにかく機械音痴の母は「余計な事はしなくていい」と、相変わらず娘の親切は空振りをするのでした。
入室時に「短時間で」と念を押されたので、1時間足らずで退室しました。車で3分もかからないプライムツリーで一人ご飯とショッピングをして帰ってきました。(2022年1月5日 記)

(元ブログ 母の部屋: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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