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足助のおばさんと教育 20 高校生6

夢のつづき 6

    夢のつづき
第6回 草むしり
(前号まで:由芽子の憧れる松田君、由芽子に好意を寄せる水田君、その水田君を好きな岡村さん……。由芽子は17才の春を迎えていた。)
 1977年の春、名古屋では本山革新市政の二度目の選挙が戦われていた。マドンナブームをさかのぼること十年、世間は革新の風を求めていた。東京で、京都で、大阪で、それぞれ革新都政・府政がしかれていた時期である。 純粋正義漢少年の水田君は、本山陣営であることを示すグリーンのバッジを胸に、毎日誇らしげに登校していた。
 近所に高校のあるご家庭はよくご存じと思うが、高校生は当時から騒々しかった。最近ならばコンビニ、千種高校の場合は増田屋というパン屋さんであったが、下校時にたむろして(すわりこむような事は当時はなかったが)は、長々と無駄話をする。また、西原君のようなバンド好き少年が多かった千種では、ベースギターのズンズンというリズムやドラムの音がかなり遠方まで聞こえていたらしく、一度は、学祭にエレキギター禁止の通達が出されたこともある。このおふれは、生徒たちの総スカンをくい、ボリュームを絞る事で結末を見ることになった。(西原君たちが、どのような活躍をしたかは、後章に譲りたい。)
 とにかく、水田君の中ではこのような理論が成り立っていたのだ。「高校生というのは、近所迷惑な存在である」「ゆえに、地域社会に貢献する生徒会でありたい」「よって、地域の行う清掃作業に生徒会も参加しよう」…… 生徒会長のこの主張を聞いた時、生徒会と(ほとんど同化してしまっていた)新聞部の中で、異を唱える者はなかった。水田君の論理は、理に適ったものだと誰しもが思ったのである。
 というわけで、ある日曜日の朝、千種高校近くの公園で草むしりを行うことが決定した。由芽子の心理がどのようにはたらいたのかは定かではない。学業は依然おちこぼれだったので、常に「勉強しなければ」という強迫観念が由芽子を縛っていた。本当は公園の草むしりをしている間に、英単語の3つや4つ覚えている方が、利口だったろう。しかし、その強迫観念の裏返しが、由芽子を草むしりに向かわせたのかもしれない。水田君が、由芽子の参加を望んでいることは、もちろん承知していた。
 由芽子は、当然岡村さんも参加するものと考えていた。水田君によせる乙女心をとなりで観察してやろうという、いささか意地の悪い思いを持っていたのも事実だ。が、予想に反して岡村さんは来なかった。いや、実を言うと、その草むしりに参加した高校生は、由芽子と水田君二人きりだったのだ。岡村さんをはじめ、後田君や新聞部・生徒会の誰彼が何人かは来るものと疑っていなかった由芽子も少し純情すぎたのかもしれない。水田君の熱意を、他のメンバーはよそごとのように聞き流していたのだ。
 当日、公園清掃のために集まった猪子石町の方々には、水田くんと由芽子が、何者なのか想像がつかなかったに違いない。
 10時から始まった草むしりは11時には終了し、由芽子は水田君と二人きりになってしまった。
 由芽子は、水田君と仲のよい友人という一線を保ったまま、一社から星が丘へ向かう道を歩いていた。当時、一社には高校生が気軽に入れるファーストフードの店などなかった。星が丘のマクドナルドでお昼を食べながら、これがデートということになるだろうかと由芽子はちらりと考えていた。
(続く)(2008年1月27日 記)

(元ブログ 夢のつづき 6: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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