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足助のおばさんと教育 16 高校生2

夢のつづき 2

夢のつづき
第2回 しんぶんぶ
(前号まで:千種高校に入学した由芽子は、ダサイ少女だった。)
 今考えると、千種高校に集まっていたのは、親たちが結構高学歴高所得のいわゆるお坊ちゃま、お嬢様だったのである。由芽子の父は定時制の高校を出て、郵便局へ勤めている一般庶民だった。母にいたっては中卒である。中学校まではそのことに疑問もコンプレックスもなかったが、とにかく娘にコンタクトレンズをなどという発想は、生まれて来ようはずもなかった。
 由芽子は、自分のダサさを忘れさせてくれるものを求めた。部活の勧誘が始まっていた。由芽子は、できればマンガ研究会のようなところに入って、大好きな萩尾望都の作品に浸って毎日をおくりたいと考えていたが、そのような部活は存在しなかった。文芸部というのも考えたが、万里が文芸部だというので、遠慮した。迷っていると、新聞部のポスターが目に付いた。可愛らしいイラスト(もちろん手書き)に、「話してみませんか」のコピーがついている。「絵も文章もかかせてくれるところだ……。」そう思った由芽子は、新聞部の部室兼社会科準備室をたずねてみた。
 他の部活が、ちゃんと部室を持っているのに比べて、新聞部になぜ専用の部室がないかといえば、まだ、できて日が浅かったためであるが、由芽子にとって社会科準備室の本来の主である、倫社・政経などの社会科の先生との接触が、実は大きな肥やしとなっていく。
 新聞部はなまやさしいところではなかった。やはり可愛い顔をした先輩たちだったが、ここで、学校の機構改革と新聞部の役割etc.なんだかいきなり難しいことを詰め込まれて、由芽子の頭は、パンクしそうだった。共通一次試験については、校長の話でも聞いたが、自分がくぐってきた受験体制がどのように管理主義と結び付いているか、生徒会をどのように自立させるのか、これらの問題の真実を由芽子が本当に理解したのは、何年も後のことである。ただ、この時の新聞部員たちの熱っぽさに、由芽子は確かにあこがれを抱いていた。「マンガ家になりたい」というあわい夢は、幼い自分の単純な発想であると理解した。しかしながら、由芽子は新聞部でイラスト要員として重宝がられたのも事実である。
 ところが、新聞部の活動に熱く燃えたのはいいが、由芽子は教科の勉強が手薄になって、いきなり落ちこぼれになってしまった。いずれ秀才ぞろいの千種高校、トップクラスを維持できるとは考えていなかったが、全く底辺をはいずるような成績をとるようになって、由芽子は新たなコンプレックスを抱えてしまった。私は、ダサイ上に勉強ができない……。因みに、同時に入部した島崎君は後に名古屋大学へ、後田君は京都大学へ進学している。成績が悪かったのは由芽子一人である。誰にも打ち明けられない悩みであった。
 島崎君と後田君は、共通の友人である、水田くんをよく部室へ連れ込んでいた。部活とはいっても、もっぱらおしゃべりをするのが目的だから誰が混ざっていてもかまわなかったのである。生徒会長などもよく出入りしていたし、前述のとおり社会科の先生たちもおしゃべりに加わったりして(生徒会の顧問でもあった)、それはもうインパクトのある会話だった。話題は校内の事にとどまらず、原発から社会的差別の問題にまで及んでいく。勉強では落ちこぼれていた由芽子だったが、ここではいっぱしの論客としてふるまわなければならなかった。
 こうして自己矛盾に悩みつつ、由芽子は千種高校の一大イベントである、学校祭の季節を迎えようとしていた。(続く)(2008年1月23日 記)

(元ブログ 夢のつづき 2: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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