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足助のおばさん in 沖縄 11

「awabar」の若い店長さんは、私を見ると破顔一笑「昨日、あの後10分ぐらいして田中社長が来たんですよ」とおっしゃいました。私に「田中社長います」と連絡をしたかったが、連絡先を聞いていなかった、と、とても残念そうにしていらしたので、ここで初めて名刺交換をさせていただきました。
田中社長のwikipediaはこちら。

私がさくらのブログに引っ越したのが2018年ですので、その頃はまだ30台の若さでした。(蛇足ながら、私が連句を始めたのとほぼ同じ年齢になります)。
田中社長は、沖縄在住とは言いながら、沖縄に常にいらっしゃるわけでもなく「awabr」に顔を出す回数も限られているようです。前の日に来店して二日続けて来るかどうかは確率としてかなり低かったです。我が家の息子・娘よりもっと若い店長さんが、YouTubeで藤井風さんのPVを見せてくれながらひとしきりおしゃべりしてきました。
バーというのはお酒を飲んでなんぼのものですから、ソフトドリンク(この日はパイナップルジュースを頼んだ)1杯で粘るもんじゃない、と、今はどうしているのかわからないジェームズ(2023年3月17日追記:元ZIPーFMナビゲーター)がさんざん言っていたので、30分ほどでおしゃべりを切り上げてawabarをひき上げました。
ちなみに「awabar」は、沖縄以外にも六本木、京都、福岡に店舗があります。何処も似たような作りだと思われますが、酒、ソフトドリンク以外には調理したメニューはなく、カウンターで立ち飲みする小さなバーです。
翌日、何度目かのゆいレールで那覇空港へ向かう時にはスーツケースはずっしりと重くなっていました。通勤通学時間を避ける目的もあって、午前7時ごろチェックアウトをして那覇空港ラウンジで最後の書き込みをした後、空港内のロイヤルホストでオムライスを食べました。滞在中ほとんどコンビニご飯でしたので、デミグラスソースのかかったオムライスはことのほか美味しかったです。
セントレアに着いたのは午後2時過ぎ。「セントレア⇔豊田市」の高速バスが1日4便になっていて、私が乗れるのは午後5時半の便でした。最終日をセントレアでゆっくり過ごし、4階にある白いピアノを通りすがりの人が弾くのを眺めながら「自然薯焼き」というお好み焼きの高級なものを食べて、実家と夫に無事到着の連絡をしました。
足助の我が家に戻ったのが午後9時。食べ残した「自然薯焼き」を電子レンジで温めて食べていると、すでに就寝していた夫が台所で「お帰り」と一言言って寝床に戻りました。
スーツケースを開けて、「紅芋タルト」5箱をテーブルに積み上げて私も長い旅を無事終えた満足感に浸っていたら、寝たはずの夫が起きてきて「近所に土産物を配るのは控えるように」と言いました。沖縄行きはずっと以前から計画していたことなので実行しましたが、やはりおばあさんが入院中に長期に家を空けるヨメは世間体が悪いという忠告でした。私としても、沖縄にいる最中に訃報が入るような事態になれば帰宅する覚悟ではいたので、とりあえずおばあさんが無事でいたこともありがたいことでした。
一見、お気楽に行ってきたと、読んでいただいている皆さんに思われていることでしょう。コロナ禍からこちら、何事もお気楽になんてできなくなった現実は人一倍感じています。
以上で「美ら海おきなわ文化祭」の報告を終わります。(2022年11月16日 記)

(元ブログ 美ら海おきなわ文化祭 11: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com) 参考 ラウンジ華: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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