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【 エッセイ 】 ギザ10がやって来た!


やってきた
やってきた
ギザギザシブい
ギザ10が
僕の所へやってきた。

コンビニでおにぎりを買ったら
千円札が小銭になって
昭和二十六年の「ギザ10」が
僕の所へやって来た。

ピカピカキレイめの硬貨たちの中に
一枚だけシブいギザ10。

久しぶりに見たギザ10。
縁の所にギザギザ付いてる
古い10円玉ですけど。
黒くくすんで、まぁまぁ汚いんだけど
手の平に乗っけて
なんだかまじまじ見入ってしまった。

だって。
昭和二十六年といえば1951年だから、今が2024年で、えーっと?

73年ですハイ。
73年間旅をしてきたエラいやつです。

あっちのポケット
こっちの財布
あの子の貯金箱や
どっかの神社の賽銭箱
赤い羽根の募金箱やら
魚屋八百屋雑貨屋のレジ
もーとにかくありとあらゆるトコロを
気が遠くなるような時間をかけて
巡り巡ってきたわけです。
コイツは。

そうして今。
ここに、僕の手の平の上にいる。

そう思うと
なんだかとっても
愛おしい。

でもそれだけじゃない。
コイツのホントにスゴイところは‥‥

自分の意志がないトコロ。

人の手から人の手へ
自分の意志まったく関係なく
されるがママなすがママに
アッチに行ったりコッチに来たり
抗うことなく逆らうことなく
流れのままに流れ流れて
そうしてなんの不満も無い。

そう。
まさに無我。

無我の境地にコイツは至っておるわけです。

この辺のスゴさは
僕なんかには全くマネのできない高みにあると言えるでしょう。
だって

アレコレ迷って
コワゴワ踏み出し
アッチにふらふらコッチによろよろ
行ったと思えば自信なく引き返し
アイツが悪いコイツのせいだ
流れに逆らい常にギクシャク
不満たらたら反省も無い。

まあ多少贔屓目に言っても
僕の日常はこんな感じなわけなので
禅的な境地境涯到達点としては
全くかなわないわけです。
ギザ10に。

さあ!
ここで気づく人は幸い。

そうです。
この境地にいるのは
実はギザ10だけじゃない。
全ての硬貨紙幣はもちろんのこと
例えばスーパーに行けば
リンゴだって
玉子だって
牛乳だって
豆腐だって
果汁グミだって

自分の意志なく生まれ
自分の意志なく旅をし
自分の意志なく今ここにあり
そしてなんの不満も無い。

例えば道端では
窮屈なアスファルトの裂け目からタンポポが生え
しかしなんの不満も無い。

側溝に澱んで流れて行けない水は
腐りつつ臭いを発しつつ
やはりなんの不満も無い。

太古からの大地は
コンクリート製の都市で蓋をされ
太陽の光を永久に諦めつつ
そうしてなんの不満も無い。

「足るを知る」と言うべきか
「縁に生きる」と言うべきか
確かに世界は
そういう具合にできていて
そういう風に機能している。

それがわからないのが
ドウブツで

動くモノは動くから
動くタメに必要なのかもしれない。

我、という大きなお荷物が。

特にその辺わかってないのが
僕を含めたニンゲンで
進化の果てに
生物界の頂点に君臨していると
鼻高々だが

ホントにそーだろうか?

自己実現とか
願望達成とか
ワタシの生きる意味とか追い求めて
それができなきゃ人生失敗とか言って
一喜一憂しているが

ホントにそーなんだろーか?

遠くまで来すぎて
この世界に存在するモノとしての
基本の基本を
忘れているだけじゃ?

なんでもかんでも手に入れたくて
メクラ滅法あちこち走り回り
元いた懐かしい場所を見失って
迷子になってるだけなんじゃ?

たまたまやって来たギザ10一枚で
そこまで思い巡らすのも
どうかと思うので
もうやめますが

とにかく
そんなニンゲンが作り出したモノとしては
お金というのは
とっても優秀だと思います。

水や植物や宇宙と同じで
なにがあろうが
どう扱われようが
黙して語らず流転するのみ。
この世界に隠された約束の意味を
ちゃんとわかっていらっしゃる。

それを使うニンゲンは
ホントのホントの意味で
もっと賢くなるべきでしょうな。


あ。
僕のギザ10ですが

また、旅に出ていきましたよ。

次は
あなたのところに

ひょっこり

巡ってくるかも。


その時はよろしくです🙇‍♂️



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