ココア

少し調べればわかることでも、知らないままにしていることはけっこうある。例えば食後の飲み物。
僕の場合はこうだ。朝食の後はブラックコーヒー、昼食の後はミルクを入れたコーヒー。夕食の後はデザートに合わせた飲み物か、何も飲まないことが多い気がする。特に理由はないし理屈は知らないけれど、「なんか」それが落ち着くのだ。とりわけ昼食後の茶色のコーヒーは是非ものである。波立つ胃酸の溜め池にほどほどのミルクで蓋をする感じというか。なに蓋って。

それにもかかわらず、その日の昼食後、僕はホットココアを飲んでいた。
道玄坂上のカフェ・ド・クリエは、2階に喫煙席があり、嫌煙家たちの白い目にさらされることなく愛煙することができるうえ、同僚に見られることなく昼寝ができる、当時の僕なりのオアシスだった。
喫煙だけでなく飲酒の頻度も今より高かったこのころ、冬には乾燥も手伝ってしばしば喉が荒れた。風邪をひいていようがいまいが喉痛にはどうやらイブプロフェンが効くということに気づいてからというもの、毎食後の風邪薬も欠かせないものになっていた。そうなると、風邪薬の効果を阻害するカフェインを含むコーヒーを飲むわけにはいかなくなる。でも昼はミルクで蓋をしたい。そこで同じ茶色のココアを注文することになるわけである。
人の目やら喉やら、そんなにいろいろ気にするなら吸わなければいいのにね。あと蓋ってなに。

2階席のキャパシティは12~14人くらい。昼休みの時間が決まっていない仕事をしていたのは幸いで、午後も2時を過ぎれば繁華街の喫茶店でもだいたい6割程度の混み具合だ。奥から2番目くらいの席に悠々と座って、本を読みながらココアをすすっていた。
半分くらい飲んだところで、窓がきしむ音が聞こえ、揺れを感じた。なかなかおさまらない。次第に大きくなるので、やばいやつかもと思い、慌てて席を立った。他の人たちも腰を上げる。
そこから数十秒間のことはあまり覚えていない。狭い階段の降り口あたりで人を押したかもしれないということと、続く余震への恐怖心から飲みかけのココアを片付けに屋内に戻ることができなかったことに対する罪悪感が、10年経った今もかすかに、しかしはっきりと残っている。パニックの渦中にありながら、自分を咎め、これがパニックというやつかなどと考え、同時に、自戒は後でしようと考えたのを覚えている。
これが僕の2011年3月11日午後2時46分の話だ。

つい最近のこと、仕事で東北の人に当時の話を聞く機会があり、同僚の一人が人をはねながら津波から車で逃げた、というエピソードを聞いた。それとこれとを同等に扱うつもりはないけれど、そういうことに限って、なかなか忘れられないものなのだと思う。

去年、志村けんが死んだニュースを聞いて、僕は煙草をやめた。文字通り年中マスクをしていることもあり、この冬はあまり喉が荒れない。昼食後はココアではなくコーヒーを飲む。もちろんミルクは入れる。でもたまに理由もなくココアを飲むこともある。
変わったこともあるし、変わらないこともある。
特に理由はないし理屈は知らないが「なんか」落ち着く、この白でも黒でもない茶色の飲み物を飲む習慣は、向こうしばらく変わらないと思う。けれど理由もなく変わっていくかもしれないとも思う。
時が経つというのは、きっとそういうことなのだ。

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