夢日記 ドクターストレッチ教とマリア

ドクターストレッチに入っていくといきなり施術が始まった。
若く細い男性と女性2人がリラックスした服を着てにこやかに。害のない笑い。髑髏柄の羽をした蛾の印象。うち2人の女性が担当のようだ。1人はふくよかで、日本人離れした目鼻立ちの女。1人は小柄な、いかにもすばしっこく弁の立ちそうな女。
長い椅子のような革張りのベッドの上で、ふくよかな女が俺の身体を伸ばしていく。にこやか。急ごしらえの白いLEDの光。

ドクターストレッチの中だろうか?施術を受ける我々はとぼとぼと歩いている。気付けば一人ではなく、ほかの知らない2人と施術を受ける立場。ちょうど教習所の高速教習のようだ。全然、知らない人たち。にこやかさは変わらない。担当の女2人も変わらない。この通低音のようなにこやかさは?昔の静かな廊下で鳴っていた蛍光灯の音のようだ。担当の小柄な女が慣れた笑顔で場面を支配している気がする一方で、客の女も過剰に和気あいあいとしていて、場の雰囲気を積極的に作っているのが分かる。自分はふと、嫌な気がした。罠の形をしている、硬い罠の中で、無関係に、真綿で絞められる感覚。

暗がりを抜けて階段を上がる。民家のつくりだ。
ドクターストレッチの奥がこういうふうになっていると思わなかった。階段の脇には真っ白なキャンバスが立てかけてある。立てかけられてから、しばらく時間が経っている。
上がると、居間のような空間。昼の光が燦々と差し込んでいて、一階のLEDの白々しさが懐かしい。ここは本当にドクターストレッチだろうか?ちゃぶ台。昭和の居間の雰囲気だ。皆で座り、小柄な女が語り出す。にこやかさは変わらない。みんな友達のような親密さ。カルトに曝露した具体的な感覚。それは青空に刺さるビルの屋上の角のようにパースがクリアな明白さだ。客の女を見ると微笑みながら目を瞑って、揺れながら気持ちよさそうに話を聞いている。このままいくと自らの感覚も変わっていく気がする。カルトは自らの意思にかかわらず、気付いたら入っているもの。いつの時代だってそうだ。たとえこれが、夢だとしても、そうだ。

居間の横にもうひとつ部屋があり、中が覗けない構造になっている。中に入ると、古い箪笥で囲まれた和室の空間。背が高く、深い色をした古い箪笥だ。こんなに沢山のタンスが必要だろうか?4畳半くらいの狭い部屋に皆で座る。例の小柄な女が惚けた笑みで、「みなさんはもうお馴染みの部屋だと思いますが」と言う。自分は、「私は今日はじめてです。」と言う。
カルトが常に用意するのは非現実を創出する舞台装置だとしても、階段からこちら、確かに奇妙な空間に足を踏み入れてきた感覚があった。
そして最後に、何かカタストロフィとしての、もしくは昇天や解脱、宗教におけるエクスタシーを得るための驚くべき部屋がここにあるかと思ったが、中は至って地味な和室なのだ。しかしこれは計算ずくだろう。非日常としてのカルトが、日常の中でエクスタシーを迎えるような、実に非サイケデリック的余裕があり、ちょこんと座る女たちの年寄りみたいな弛緩した笑みがこの暴力的な日常性を共有し、共感し、待ち構えている。これから何が始まるかが分からない。

気付くと、自分は一人でさっきの明るい居間で眠っていた。眠りの中での目覚め。ちゃぶ台。粒の大きな七味のようなものが入った袋が少し中身が出た状態で2つ、ちゃぶ台に置いてあり、自分は虚にそれを片付ける。にわかに、さっきの最後の和室から、ギャアーー!と、誰か女の叫び声が聞こえた。見ると、和室は襖で閉じられており、あとはしんとしている。自分は立ち去ることにした。

ドクターストレッチを出るとき、店の入ったすぐのところに、先程のふくよかな方の女の立派なヌード写真が立てかけられているのを見た。
それを見て、その女がラッパーのマリアであったことに初めて気づいた。

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