倒れてるヤツはちゃんと起こしてやろうぜ

30を目前にしても、自分が大人になったなと感じる瞬間が全くない。いつまで経っても学生のような生活をしてしまっており、早く年相応になりたいという漠然とした焦燥感だけが頭をもたげる。

時間の経過を感じる瞬間、要は老いを感じる瞬間はままある。ただでさえ引っ込み思案な前髪の生え際が後退してきている事を指摘される時。学生時代は経験したことがない二日酔いに苛まれる時(呑みながら吐き倒すので翌日に酒が残らないタイプだったのにな、、、)。

あとは、好きなアーティストが死んでしまった時。

遡ること高校時代、9mmが表紙を飾る音楽誌を購入した。当時の自分は哺乳類ロキノン属残響科に属する、非常に分かりやすい嗜好の生き物だったのだ。メンバーが影響を受けたCDを紹介するページに目をやると、どう見たって音楽とは無縁だろ然としたスジモンがいた。4人も。


憧れのプレイヤーを自己に投影したくて仕方がない盛りの僕は、すぐさまTSUTAYAへ駆け出した。
thee michelle gun elephantとの出会いなわけである。

耳の穴に鑿岩機をぶち込まれてこねくり回されたのかと思った。銃弾のようなギター、骨密度の高すぎるベース、芯がありながらも軽快なスネアとキックで屋台骨を支えるドラム。小細工なしのバンドサウンドに、それこそ弦楽器をかき鳴らすような荒々しさを湛えたボーカルが乗っかって、僕の頭をメチャクチャにしてきた。ベースが直アンなの、未だに理解に苦しむねんな。どう弾いたらあんなブリンブリンな音が出るんや、弦千切れるて。

大学生活最初のライブはミッシェルのコピーだった。在学中は3回くらいコピーしただろうか。その都度文句無しに達成感はあったけど、やっぱりチバユウスケの声はチバユウスケにしか出せないなと思った。当たり前だけど。あれだけ荒々しく歌っているのに、割れるようながなり声なのに、しなやかな色気を感じるんだ。目元が涼しげで真っ直ぐで。

ラストライブの世界の終わり、目に焼きつくくらい見た。最後のサビ、喉が枯れ始めたチバがわざとワンフレーズ歌を飛ばす瞬間が好き。これで最後だと自分に言い聞かせるような、聴衆に語りかけるような、少し悲しげで満足げな顔が好きだった。

僕は彼らの活躍をリアルタイムで追っていたわけではない。彼らの音楽に触れた時、既にアベフトシはこの世の人ではなかった。正直なところ、ミッシェルの存在が大きすぎてThe Birthdayもそんなに聞けていない。チバユウスケのことが本当に大好きで、ずっとずっと彼の姿を追いかけていた皆様のことを思うと、僕如きがって思うところもある。

だけども、音楽を楽しむ幅が広がったのは間違いなく彼らのおかげなのだ。挫折の末にベーシストを選んだ僕が、やっぱり弾けるようになりたいなと、もう一度ギターを手に取ったのも彼らの音楽に触れたからだ。自分が普段聞かない音楽に触れる楽しみを知ったのも、ミッシェルが初の経験だった。例えリアルタイムで追いかけることが出来てなくとも、僕の青春の、その瞬間を彩ってくれた人であることに変わりはないのだ。


だから悲しんでもいいよな?最高の音楽をありがとうございました。

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