救われた

その人自身が持つ人徳が故であり、僕を取り巻く周囲の皆様の助けが故でもある。僕を善の人間たらしめるのは、間違いなくあなた方のおかげだ。

お前は、身に余るほどの物を頂いて生きている。何も持っていないような顔で、悲劇の主人公ぶるのはやめておけ。価値ある人間と言ってくれる人がいる。僕の不幸を、自分の不幸でもあると感じてくれる人がいる。侮蔑と嫌悪を頂戴しようとしてなお、僕の善性を信じようとしてくれる人がいる。それを投げ捨てて叩き壊すのは、お前がいつも避けようとする「恥」というやつだろう。

過去を大切にしたいと宣いながら、それに泥を塗る様な真似をしてしまった。解放感はあった。僅かな後悔もあった。恐らく、この後悔は日増しに胸の辺りを埋め尽くし、血が巡らなくなった心身はどちらも腐り果てていただろう。そうならなかったのは、周りの皆様が、勿論その人も含めて、真に心の清い人たちだったからだ。

懺悔はここに書いても仕方がない。ただ、事実を噛み締めるのだ。不安を与えておきながら、その人の目が届かぬところで、ツラツラと反省を綴るのは易い。そうならなかったことへの感謝を述べるのも違う。

僕と関わった皆様が健やかに生きることを願うのなら、安易な破滅に逃げてはいけない。それだけ。

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