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渡る中国にも鬼はなし(8/67)

第2章 出発日.中国第1日目 亀岡->上海->蘇州
待ちぼうけ


  搭乗ゲートまではウイングシャトルという無人のモノレールに乗ります。プラットホームとモノレールの間はほとんどすき間もなく、簡単に車イスで乗り込めます。 すぐに我々が乗り込む飛行機がガラス越しに見えてきました。

 ここでも多少時間があります。予定では6時10分発です。ここで障害者用のトイレがあったので、オシッコをすることにしました。 私の場合立ち上がることができません。オシッコはどうするかというと、車イスをできるだけ便座に近づけ、ふたをはねのけ、なにをなにして、すわったまま用を足します。

 いずれにせよ、オシッコの場合は母親と私だけで何とかなりますが、大きいほうの場合はどうしても立ち上がってズボン、パンツを下ろす必要があります。 この場合はどうしても他人の手がいります。これはだれでもそうですが、見ず知らずの人にしてもらうのは大なり小なり恥ずかしいものです。 しかし、今回はこの作業をどこかでしなくてはいけません。いくらラッパのマークがついているにせよ、どうなるか分かりません。 はたしてその日はいつになるのか? 

 ノルマンディー上陸のとき、ドイツ軍は連合軍がいつ、どこに来るのか必死になって知りたかったように、私もまたいつ、どこでそのXデーが来るのか知りたかったのです。 もし便意がして数分後に出るようなら、間に合わない!

  いつの間にか日は暮れ、待合室前面の大きなガラス窓は真っ暗になっていました。午後6時を回りましたが、搭乗の案内がありません。やがて、出発ゲートの電光掲示板に7時と出ました。

 「横風が強いので、いましばらく待っています」という説明がされます。しかし、我がツアーの面々は我慢強い人が多く、JALに食ってかかるような人はいません。 乗客の中には中国人もいました。そのうちの何名かは再三、JALの係員に文句を言っています。 親はいらだっていましたが、中国人の子供たちはガランとした待合室の中を「キャーキャー」と無邪気に鬼ごっこなどして走り回っています。

 午後6時から7時にかけて、台風18号は日本海の富山沖から新潟沖を、時速60kmというスピードで北北東に進んでいました。いうならば急速に近畿からは遠ざかりつつあったのです。

 その日は風こそきつかったものの、朝から雨は1度も降りませんでした。しかし、待合室で出発を待っているそのとき、ふいに壁一面のガラスを伝って銀色の水滴がキラキラと流れ落ちました。

悪い予感!
やっぱりだめでしょうか……。

 今回の旅行のとき、私は不思議な力を感じていました。それは強い強い意志のようなものです。
「なんとしても訪中団に中国に行ってもらうのだ!」というような意志です。客観的に見れば旅行は取りやめとなっても不思議ではありませんでした。台風はというと今年最大の台風です。おまけに九州からまっすぐに近畿に接近してきています。台風の進行方向の右側が一番風が強いのだそうですが、今回の関西国際空港の位置はまさにその位置に当たっていました。

 この日の朝、熊本県南部の牛深市では、最大瞬間風速66.2メートルを観測したのを始め、広島市中区で最大瞬間風速49.6メートルを記録、西日本至る所で、暴風が吹き荒れました。

 出発時刻の午後3時40分ころが空港に最接近するのは間違いありませんでした。暴風域が数百キロの台風の場合、九州からどんなコースをとっても空港はその暴風域に入ってしまいます。

 冷静に考えれば考えるほど事態は絶望的でした。前日には九州の飛行場を中心に欠航が続出していました。今日も台風の影響で これまでに九州、四国、中国地方の発着便を中心に、日本航空、全日空、 日本エアシステムなど航空各社あわせて270便近くの欠航が決まっていました。この関西国際空港でも国内線を中心に軒並み欠航していました。

 そのさなかで私は強い強い意志を感じていました。
「なんとしても訪中団に中国に行ってもらうのだ!」

 その意志が事態をくい止め、元に戻していることを肌で感じていました。普通であればとっくに中止になっていておかしくないのに、その強い意志があるお陰で、状況はじわりじわりと前進しつつありました。その強い強い意志の持ち主は、お名前は書きませんが、私が初めて市役所に電話をした時、非常に簡単に車イスの私の受け入れを承知した方であろうと思います。神懸かり的な言い方かも知れませんが、その人の強い強い意志がなかったならこの旅行自体成立したかどうかと思います。

渡る中国にも鬼はなし(9/67)


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