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渡る中国にも鬼はなし(60/67)

第6章 中国第5日目 昆明 
ディナーショー


 中国最後の夜は、ステージのショーを見ながらの晩餐でした。しかし、部屋の入り口でたじろぎました。私たちの予約席はステージの一番前で、入り口からは一番奥になります。そこに行くまでにはたくさんの食卓を通り過ぎる必要があったのですが、この食卓と食卓との間隔が狭く、とても車イスでは通れません。たくさんの椅子を動かしてもらい、やっと一番前まで行くことができました。

 さて食事が出るより前に、ステージでのショーが始まりました。ステージはさほど広くありません。中央に背の低い若いお兄さんが進み出て、いきなり猛烈な早口の中国語でなにやら話しています。話し方はラジオのディスクジョッキー風です。テンポよく話すのですが、いささか前ふりが長すぎます。延々と意味不明の中国語を話しています。

 日本ですと「早く引っ込めー」というヤジが飛ぶころにやっと引っ込んで、舞台左袖から中国人のオネーサンが4人現れて、やはり意味不明の踊りを踊ります。これが由緒正しき民族舞踊なのか、あるいはついさっき打ち合わせたばっかりの場当たり的な舞踊なのかさっぱり分かりません。オネーサン達は舞台用なのかどうなのか、かなり濃い化粧をしています。長いマスカラなどしていて、まばたきの度に風が起こりそうです。ここまで濃い化粧をするとインド人と言ってもアメリカ人と言っても通用しそうです。なんだか中国人らしくありませんでした。

 このオネーサン達がいったん舞台から退いたくらいに料理が運ばれてきました。この日の料理は過橋米線と呼ばれる昆明の郷土料理です。池の中の小屋で科挙の受験勉強を続ける夫に橋を渡っても冷めない料理をと願った妻が考案したと伝えられるものだそうです。肉とか野菜とか米の粉でできた麺(米線)が皿に盛ってあって 大きなスープの入った鉢にこの具を入れて、中のスープの余熱で煮るようです。まぁ日本のラーメンみたいなものですが、冷めないようにと鶏の脂がスープの表面に膜を張るために、スープの味は少しこってりしていて、好みがあるかも知れません。店員のオネーサンは私の前の料理を「こういうふうにするのよ」みたいに調理して皆に示していましたので、私は何もしないままに食べることができました。



 そうこうしていると舞台は、また背の低い若いお兄さんが出てきって、今度は自分で歌い出しました。日本では司会があまり出演者になることはありませんが、やはり所変われば品変わるでしょうか。その後、また4人組のオネーサン達が現れたのですが、今度は観客を舞台に上げて、一緒に踊ろうと手招きします。やはりそういう雰囲気を持った観客をオネーサンも敏感に察知して、「そういう雰囲気」を持った人が舞台に上がります。「そういう雰囲気」というのはどういうことかというと、オネーサンと一緒になって観客を盛り上げるご陽気な人という意味です。

 私も若いころは「そういう雰囲気」を持っていましたので、ある宴会の席で、酌をしてくれるオネーサンから頂いたパンティーを頭にかぶって観客を盛り上げたことがあります。車イスになったとはいえ、いまだ「そういう雰囲気」は持ち合わせていますので、もしその中国のオネーサンからパンティーを頂いた折りには、車イスのまま舞台に上がり、頭からかぶって観客をおおいに盛り上げてもいいと思っていたのですが、残念ながらその日はパンティーの予備がなかったようで、いささか残念なことをしました。

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