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北京入院物語(85)

ある日、私はたまたま彼が主治医と話す場面に遭遇したのです。
先生は中国語が話せない彼のために、すぐそばには日本語の堪能な看護師を連れて来ていました。
にもかかわらず、彼は英語でその主治医と話をしています
私は事前にその相談内容を聞いていましたので、英語で何を言わんとしてるか理解できました。
彼が相談していた内容は、「この状態のまま飛行機に乗って日本に帰った場合、機内の気圧の変化で病状が急変するのではないか」ということです。

彼が話しているのが聞こえました。

I BACK JAPAN (私は日本にもどりたい)
PLANE HIGH (飛行機は高い所を飛行する)
DANGEROUS (気圧の変化を受けて危険です)

(かっこ内は彼の言いたいことです)

 私は彼の英語にめまいがしそうでした。
文法で言うと、動詞がありません。
皮肉なことに先生は流ちょうな英語で彼に話をし始めました。
彼がその英語を理解できたかわかりません

 私は彼の一流大学出の英語にびっくりしたために、先生が英語で何を言ったかは全く覚えていません。
この医師と部屋を出た折に、「彼の英語が分かるとはあなたは英語の達人だ」というような意味のことを言いました。

 その後、彼は病状が悪くなってきたのか、めまいがするどころの話ではなくなってきました。
彼は北京の日本大使館に「邦人保護」を訴えて、帰国のための専属の大使館員を準備させたというのです。
その後、話はもっとすごくなって来ました。
なんでも、大使館内に彼のためのチームが編成されたというのです。
・・・もう、返す言葉が見つかりません。
そのチームが日本の海上自衛隊に話をして、彼のために、海上自衛隊の艦船を派遣してくるという話が着々と進んでいるということを私に自慢げに話してくれました。
私は都合上で病院を出ることとなり、彼がその後、どうしたか全く分かりません。
メールのアドレスを教えてといわれて、じつにいやな気持で誰もが持っているようなアドレスを教えたのですが、彼からその後連絡はありません。
イラクで人質となった日本人のように、彼が特別待遇で戻ってきたというニュースはその後も聞きませんでした。
(多分、みなさんも)
北京入院物語(86)


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