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山本茂美『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 』【基礎教養部】[20220529]

「働く」ということ。
私は学生時代、この「働く」ということに全く実感が湧かなかった。

ゆえに私は小さい頃から将来の「夢」というのもあまり持ったことがない少年だった。
中学校の時「将来の夢」というテーマで、作文の宿題が出た。
どんな文章を書いたかまでは覚えていないが、それはそれはつまらない内容だったと記憶している。
その時宿題として出た「夢」とは、要は「将来なりたい(やりたい)職業」のことだったのだろう。
当然、周りの同級生達もその「夢」を作文として提出していた。

当の私はというと、あまりにもその「夢」が思いつかなさすぎて、結局両親に相談しに行った。
現実ベッタリの「こんな仕事がいいんじゃない」という答えが返ってきて、両親には悪いが私はそれをとても「つまらない」と感じた。
しかし思いつかないものはしょうがないので、その両親の提案の内容を基に作文を書き、提出した。

そして大学生となり、同級生達が就職活動をしている頃、私はまだ「働く」という事に対して実感が湧いていなかった。

当時アルバイトはしていたが、正社員になり、社会人としてその会社で何年、あるいは何十年も働く、その実感、イメージは全く湧いていなかった。

こういったケースだと「実際に社会に出て働いてみれば分かる」と仰られるのが大半の「大人」の方々の意見だと思う。

しかし、「働く」ということそのものに対して何の実感、イメージ、予測も立っていない人間に対して「何でもいいから働いてみろ」というアドバイスをすることは、私はあまり賛成できない。
優しい母親がそうであるように、右も左も分からない少年に対して1から10まで手ほどきし、出来ない少年を根気強く待ち、またその出来ないままを受け入れてくれるほど「社会」は優しくないからだ。

社会に出る前に、社会に適応できる能力をバッチリ習得している必要は無いと思うが、それが無いのであれば少なくともある程度のイメージ、予測は立てておく必要はあるはずだ。
何も準備をせずに社会に出ることは「危険」ですらあると私は思う。

もっと言うならば、私がこれから社会に出ようとしている人間に絶対に必要だと思っているのは、能力や計画よりも「覚悟」だと思っている。

実際私は社会に出る前、何の能力も、あるいは計画も無かったが「覚悟」だけは構築できていた。(それを構築するために、人生の遠回りはしてしまったが)

もしその「覚悟」を構築するためのお手伝いができる場があれば、それは社会的に意義のある場所、活動となるのではないか。

今の日本社会には、これから社会に出ようとする若者の「能力」を向上させたり、「計画」「ビジョン」を作成することを手伝う場所は山ほどあるが、「覚悟」の構築を手伝う場所は少ない。というよりも

それができるのは、何かの「スクール」ではなく「家族」なのかもしれない。

明治時代、野麦峠を越えていった工女たちが私の言う「覚悟」を持っていたかどうか、それはもはや確認の術は無いが、しかし「生きよう」という「意志」は絶対に持っていたはずである。
そうでなければ、本書に記されているような当時の過酷な環境に立ち向かえるはずがない。

明治時代、病気、事故、会社からの不当な扱い、その中でも命懸けで働いていた工女たち。
時代は令和に変わったが、命懸けで働いているのはいつの時代でも同じではないか。

最後に、今の私に「夢」があるか。
今の私の「夢」はジェイラボがその理念を形にしていきながら、より良い場所となり、社会と連結していく事である。

しかし。この「夢」はもう親や先生の顔色を伺いながら学校に提出する必要は無い。
その「夢」を叶えるために自分達の足で歩いていくだけだ。
一歩ずつ。


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