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変換人と遊び人(12)(by フミヤ@NOOS WAVE)

~“遊び”概念のフラクタル性に基づくネオ「ホモ・ルーデンス」論の試み~
“遊び”のフラクタル性について⑨

アインシュタイン語録の中でもよく知られたもののひとつ、「神はサイコロを振らない」がヌーソロジーのキモ的要素でもある量子力学を背景にしたものであることは、スピナーズのみなさんなら先刻ご承知だろう。

ニーチェの「神は死んだ」前稿参照)を含めて歴史的名言とされるものは概してそうなのだが、これもシンボリックなレトリック表現だ。シンボリックというからには、ナニゴトかが象徴(シンボライズ)されている必要がある。それはなんだろうか。

とりあえず私としては、アインシュタインの意図とは関係なく、“遊び”がシンボライズされていると勝手に考える(そうでなければ、本論でこの名言を扱う意味がないのだw)。つまり、「神はサイコロを振らない」=「神は遊ばない」と言い換えたうえで本論(10)に基づいて主語を置換し、「≪ワタシ≫は遊ばない」とする。これに対して、“いやいや、そうではなく、「≪ワタシ≫は遊ぶ」んだよ”というのが、我が本意だ。しかしその詳細に先立って、本稿ではまず、名言を遺したご本人の意図(なにをシンボライズしたのか)に触れておこう。

アインシュタインはこの「神はサイコロを振らない」という台詞を何度も口にしたり関係者への手紙にしたためたりしたことが知られているが、実際のところ、これらはすべて、ニールス・ボーアなどによる「コペンハーゲン解釈」に対する不満表明と言ってもいい文脈でなされたものだ。「すべての現象には必ず原因があるし、なければならない」という因果律ベースの信念をもつ20世紀最大の科学者は、現象が因果律によらず確率的に起こるとする「コペンハーゲン解釈」に合点がいかなかったのである。そんな確率現象を象徴するものとして、彼は「(神が振る)サイコロ」を持ち出した、というわけだ。

いま私はナマイキにも、量子力学とその成立の経緯に関わる「コペンハーゲン解釈」や「アインシュタイン=ボーア論争」に言及してしまったが、これらは本来、人文系遊び人(遊び人に人文系も理数系もないけれどw)の手に負えるトコロではない。

というわけで、本論の主旨からやや脱線することになるが、ここでスピナーズのみなさんに、理論物理の天才たちによる人間ドラマを描いた一冊、『量子革命』(マンジット・クマール著、青木薫訳、新潮文庫)をご紹介しておきたい(じつは私はこれを5年前に初めて読んだのだが、すでに二読三読してボロボロになっている)。折りしもヌーソロジーサロンでは間もなく砂古武彦教授による量子力学講座がスタートするが、それに先立って(または平行して)お読み頂ければ、おそらく講座の理解が深まること請け合いの超おススメ書籍である(もちろんサロンメンバーではない方にも)。

各ヌーソロジーシーンでは素粒子や量子論に言及される機会が多いが(キモ要素だから当然だ)、その度に軽い疎外感めいたものを覚える非理系の方が少なからずいらっしゃると聞く。かく言う私自身もそのクチかもしれないが(笑)、本書を読めば、それは多少なりとも軽減されるはずだ。書店には量子力学を頻繁に特集する「Newton」などの科学雑誌や「〇分でわかる量子力学」などと銘打った書籍も並んでいるが、それらはあくまで各キー概念のサマリー(要約)が主眼であって、ビジュアルに訴える鮮やかな図版を介して一時的にわかったような気にさせてくれるだけだ(←厳しすぎる?)。

本書はそんな断片的サマリーの寄せ集めではなく、量子力学の誕生とその背景、今日に至るまでの紆余曲折に満ちた波乱万丈の成長プロセスおよびそれらに関与した天才たちの間に繰りひろげられた人間ドラマが主旋律になっている。そこには、若きハイゼンベルク「ボーアとアインシュタインは全面戦争に突入した」と評した論争の詳細のみならず、そのハイゼンベルクとシュレディンガーの間の葛藤やド・ブロイマックス・ボルンパウリその他の主要人物の迷いや苦悩も描かれていて、手に汗を握るほど面白いのである。

さらに本書の後半には、デヴィッド・ボーム博士「隠れた変数」を携えて登場する。ボーム博士とはまさに、半田教授がロンドンで面会を予定していたその人である。博士が心臓発作を起こしたために結果的に面会はかなわなかったものの、教授が記されたように、それはヌーソロジーにとっては「意味のある偶然」だったに違いない(本論の序(3)では『人神』最終章の最後にあるサチ・エピソードに触れたが、同じ章の冒頭にその経緯が記されている)。

さて、私が本書をおススメする理由は、著者マンジット・クマールの構想とそれに基づく内容・構成の見事さに加えて、もうひとつある。翻訳の完璧さである。本書を翻訳された青木薫さん(女性)は世間的にはさほど有名ではないかもしれないが、『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』(講談社現代新書)という著書がおありの理学博士であると同時に、多くのサイエンス系書籍の翻訳実績をおもちの天才翻訳家なのだ。

じつは私は≪アソビ≫に裏打ちされた“遊び”の一環として海外特許文献の翻訳や翻訳文の校正・校閲に従事することもあって翻訳にはウルサイ(笑)のだが、その経験からいえば、青木さんによる訳語選択の匙加減の絶妙さと翻訳文の美しさ、完成度の高さは絶品である。本書の翻訳に際しては、専門家的な読者層に忖度することなく、かといって一般読者層に過度に阿(おもね)ることもしない、ちょうどいい具合の表現が熟慮されていることは間違いない。加えて本書の巻末には、量子力学に関する用語集と年表も付いている。だからビギナーであれエキスパートであれ、スピナーズのみなさんには、安心してお読み頂けると思う。そういえば、その年表の末尾には「20??年」と記された欄がある(↓)。

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はたして「??」にはどんな数字が並ぶことになるだろうか。私としてはノストラダムスにならって、「39」という数字が入ると予言したい。いやいや、ちょっと待った!ここは「ノス」トラダムスではなく、「ヌーストラダムスの大予言」としなければなるまい(笑)。

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