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おとなになっちゃう前に

夏が来ると、20歳になってしまう。

最近はその事実についてよく考えている。
子どもの頃は20歳になる未来はもっともっと遠くにあるものだと思っていたのに、気が付いたらその未来に目前まで迫いついてしまった。
私だってもちろん、鬱屈を知る前には子どもを完璧に着こなしていた時期があって、完璧な子どもなのだから完璧なおとなにだってなれるはずだと、残酷なまでに信じきっていた。そんなかつての私がもしも、おとなを目前にした今の私を見たとして、笑いかけてくれるだろうか。些か自信が無い。

とはいえ、この20年間で私は身長が114センチ程伸びたのだし(ちなみに生まれた時は53センチだった)、自分の思考だとか思想だとか、そういったこともある程度は、つまり身も心も成長したはずだと思いたい。

そのりっぱとは言い難いが確かな成長の過程に、とてもとてもお世話になった、怖くて厳しくて怖くて、深い愛のある先生がいた。
今の私の根っこの所には、確かにその先生が教えてくれた事が沢山敷き詰められていて、そしてその先生の所に通わせてくれた母のおおきな優しさがあって、私はそこからちょっとずつ枝を伸ばして、もうすぐ20歳になる。
先生は私が通っていた小さなバレエ教室の先生で、私がまだ礼儀の“れ”も知らないぴよぴよの幼稚園児だった頃から、中学生になった年の夏までのざっと8年間、それはそれはお世話になった。先生に教えてもらったことは、今も私のなかで、私を支え続けている。アラベスクもピルエットも出来なくなってしまったのに。

きちんとした挨拶をすること。
先生の問いかけに答え、“生徒”のなかに埋もれないこと。
ひたむきに取り組むこと。
ちょっと怒られたくらいでへこたれないこと。
受けた注意は必ず次回に活かすこと。
真面目に努力をした者全員が成功するなんてことは有り得ないが、真面目でない者が成功する日なんて来ないこと。

本当に小さな子どもの頃、私の下の名前を思いっきり呼び捨てて、おっきな声で叱ってくれたのは先生だけだった。バレエが得意だと自惚れたことは一度もなかったけれど、先生が叱ってくれるのだからそれ以外に私はもうなんにも怖くはなかった。先生の所へ通っているから、小さな私はいつだって自信にあふれ、子どもなりに強くあれた。先生は正しいことしか言わなかったし、叱ることは相当な体力を使うのだと知ってからは、先生の所でレッスンを受けていることが誇らしくてたまらなかった。
先生の所へ通った日々のなかで忘れてしまったこともあって、それはきっと先生も同じだけれど、私には懐かしくてあったかい気持ちが確かにある。

先生、覚えておいでですか、お元気ですか。私はもうすぐ20歳になります。
すこし、なみだがこぼれそうです。

私が教室に通わなくなってから、先生にはまともに会っていないように思う。
一度か二度、どこかですれ違ったこともあるような気がするけれど、確信は持てなくて、やっぱり会っていない気がする。

先生と会わなくなってから、色んなことがあった。自分のこころがとても弱いことだとか、出来ないことばかりだとか、自分の凡庸で愚かな思考だとか、十代後半は知りたくもなかった私のことを知ってしまった。自信が無くなり、素直にもなれなくなった。先生の所を去る時に、何個か後悔を置いてけぼりにしてしまったから、何回も先生の所へ行こうとしたけれど、自信の無い私を先生に見せたくなくって、結局諦めてしまった。情けなくって堪らなかった。

そんな弱い私をも受け入れられる私になりたいと、そう思えるようになることに、子どもとしての最後の1年を使ったのだと感じている。まだまだ上手くはいかないけれど、このままずっと強くはなれないかもしれないけれど、やわらかな愛を自分にも、自分の周りにも持てる人間になりたいと思う。
そして今なら、私は先生の所へ会いに行ける気がする。

先生へ
お元気ですか。あの時、逃げるように辞めてしまってごめんなさい。今でも私は、先生とバレエが大好きです。学校の外に、私に愛をもって接してくれる尊敬できる先生がいたことを、私は本当に幸せに思っています。色んなことがあったけれど、あれからも不器用に日々を積み重ねて、私はもうすぐ20歳になります。積み上げてきた日々の根っこの方に、先生が教えてくれたことが沢山あります。
とてもとても、お世話になりました。昔も今も、大好きです。


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