見出し画像

引力、反発、大気圏外

21歳、私は初めてまっすぐな失恋をした。

確信と共に人を好きになって、少し思わせぶりな彼に浮き足立って、初めてきちんと告白をして、振られた。
今、書いていて凄く恥ずかしい。それでもちゃんと言葉にしておきたいと思った。
人と向き合うということ。こんなにも難しくて、上手くいかなくて、自分はいつもちょっと下手くそで、だから悔しい。でも私はこれまでに無いくらい、自分の心に対して素直で“いようとする”ことが出来た。それは自分の中で、書き留めておきたいくらいの大きな成長なのだ。

1年のうちに使える勇気が限られているとしたら、今年の勇気はほとんど彼に対して使っただろう。自分でもびっくりするようまっすぐな恋だったのだ。

過去、なぁなぁで付き合い始めてなぁなぁで別れる、みたいなことを1度だけしたことがある。それは環境に左右される恋だった、お互いが所属していたコミュニティから去った時にふわりと消えたし、あまり感慨も無かった。そうだろうな、という納得と共に離れた。大勢の中で混ざりきれない者同士が、特別を見出したくて2人で手を繋いでみただけ、たったそれだけの1年間だった。

この恋のまっすぐさは、その根幹に、相手のことを知りたいという純粋な欲求があったことによる。

小説を読むこと、美術館へ行くこと、珈琲や紅茶、写真、お揃いの趣味嗜好がたくさんあったこと。一緒に行きたい場所が本当に沢山思い浮かんだ、そんな人に出会えたことがこれまでに無かった。言葉じりに滲む理知的な思考、会話の節々にのぞく教養や知識欲、言葉を、会話を交わしたい、と心の底から思えたということ。彼の側にいれば、私の知らない沢山のことを知ることが出来そうだと思った。そして、どこか掴みどころないようなその佇まいに惹かれ、あの人のことをちゃんと知りたいと思った。
叶わなかった、叶わなかったのだ。
未だに私は彼のことを、何ひとつ知らないままでいる。
彼の知的好奇心の根幹にある衝動みたいなものに、触れてみたかったなと思う。私と似通った趣味嗜好を持っていながら、私と彼はどうしてこうも違う人間なのだろう?その思考回路に似ている所はあったのだろうか?
何も、もう何も分からない。

ひとつ言えることは、私よりと彼はずっとそういう点で上手(うわて)だった、ということだ。
対して私は、そういう点においてうんと子供っぽかった。
彼はすごくずるかったし、私は素直に全部信じきれてしまう子供っぽさがあった。
待ち合わせ場所で弾けた笑顔とか、ふとした時にぴったり合わせてくる目線とか、時折ひときわ優しくなる声とか、酔っ払った拍子に握られた手とか、その体温とか、意味ありげな口ぶりとか、何もかも。

彼には 特別優しくしたい誰か が居ないのだろうか。誰に対してもひたすらに優しくて、相手の求めていることが分かる敏さがあって、それを行動に移せてしまえる。人から等しく求められる隣人として在ることで、彼は彼の輪郭を保とうとしている、そういう人なんじゃないかと思う。
誰だって優しくされたいし、そうやって振る舞えば誰も決して傷つくことはない。もとい、自分の目の前では誰も傷つかない。ある種の自己防衛、なのかもしれない。
彼は何も悪くないのに、彼のその等しい優しさはやっぱり人との間に、決して他人に立ち入らせないような 隔たり を生み出しているんじゃないかと、かなり身勝手ながら、分からないなりに、私は彼の人となりをそう結論付けた。
彼に意を伝えるか否かくよくよしていた時、私をぎりぎりまで踏みとどまらせたのは――そして事実幾度か機を逃した――その 隔たり の存在だった。
私は彼が纏う薄い膜、あるいは壁、みたいなものを本能的に感じていて、それは水に溶けるオブラートみたいな生易しいものではなくて、例えば地球の周りのオゾン層のような薄くとも決定的な 隔たり であった。私が彼の引力に引っ張られるちっちゃな隕石であるとしたら、私は地面に到達する前に燃えて消えるか、あるいは弾かれて、ただその周りを回るだけの塵となるか、どちらかだと思った。どちらでも同じことだ。
結果的に、私は地表には到達しなかったし、何にも分からないままで、弾かれた彼への気持ちをふよふよ漂わせている。
時間は平等に流れてゆくし、その間に少なからず出会いがあるだろうし、それがこのふよふよと漂う気持ちを蒸発させてしまうのかもしれないけれど少なくとも今は、いや今後しばらくの間は、大気圏外をあてもなく意味も無く巡っているだろうと思う。


ところで、彼は私に「○○と過ごすのは本当に楽しかった、わがままを言うようだけど、このままの関係性で、これからも仲良くして欲しい」と言ったけれど、私もそうしたいと思うのだけれど、ねえ先輩、私はもう、怖くなってしまいました。
これまでも、私はずっと人と関係を築くのが苦手で、それはもちろん彼に対してもそうだった。私は彼に対してかなり、素直で“いようとした”けれど、やっぱり、大事なところで上手くいかなかったみたいだ。人間関係が苦手だからこそ、自分が傷つかない為に誰にでも振りまけるようになってしまった愛想だとか、明るさだとか、気遣いだとか。それらをもってして私は、「良い子」なだけで終わってしまう。もっと悪く言うとそれは、「(都合の)良い子」なのかもしれない。今、あらためて、はっきりと、このことを眼前に突きつけられた。
失恋は失恋なんだろうけど、私は自分の人間的なところ、そういう部分で傷付いたのだと思う。

失恋の内実は、失恋じゃなかった。

今一度 私は彼の何ひとつも分かってはいない、ということを繰り返し述べてから、それでも敢えてもう少し踏み込んだことを言うならば、私と彼との間で互いの自己防衛が反発した結果、全てのタイミングが噛み合わなくなったのだと思う。そして私は、決定的な 機 を逃したのだ。これは彼から聞いたことで、確からしい。
「ごめんね、俺があの時の電話に出られれば、ね。」
その時私は、ちょっと笑った。私があまりに、間が悪かったから。

彼は何も悪くはないけど、やっぱり少し、いや、かなりずるかった。
私はふよふよと、掴み損ねた瞬きの儚さのことを思いながら、大気圏外を漂っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?