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「カッコーの巣の上で」から学ぶ、人とのコミュニケーション


先日「カッコーの巣の上で」を鑑賞しました。
なので映画から感じたこと、内省したことを書きたいと思います。

※映画のレビューは以下でしてます。

あらすじ

主人公は破天荒な性格のマクマーフィン。
彼は労働から逃げるために精神異常を装い、精神病棟に入ります。その中で彼の破天荒っぷりを発揮して、周りがそれに流され、影響されていくお話です。

人は千差万別


この映画を通して一番感じたのは、「人は千差万別」です。
人は画一的に扱えるものではありません。我々の生活の中で無機質な扱いしている場面もありますが、それは管理上の都合でしかありません。ベースは似ていてもまるっきり同じなんてことはないのです。

会社における人

会社にとって人は一つの資本です。資本という言葉を使っている時点で人ではなくなっています。それで"会社の経営"はうまくいくかもしれません。というよりもうまくやるために人を資本として扱っているのだと思います。

でも人は人です。他の何でもありません。会社から見ようが何をしようが、人であることに変わりはありません。他の視点で見ようとするとどうしてもそこに歪みが生じてしまうのです。

多少なら許されることもあると思いますが、映画のように会社の対象が人そのものの時は、この歪みが深刻になると思います。

概念の相手

まだこれは「人が人と対峙する」時にも生じます。

私は人と会話をするときに、たまに頭の中の相手と会話をしてしまいます。概念の相手とでも言いましょうか。頭の中の想像の相手と会話してしまうのです。人にアドバイスをする時、相手に好かれたい時、初対面の人と話す時など。これらの時は事前にネットや本で知識を入れて、それに沿って行動をします。
しかし、これはその人自身を見てるのではなく、想像上の人を見ているに過ぎません。対峙している相手ではなく、平均化された架空の人間と会話しているに過ぎないのです。
ですがそれでは上部の会話しかできません。

概念の相手ではなく、目の前にいるその人自身を見ることが必要です。でなければ相手の機微に気付けません。本当の対話には辿り着けないのです。

概念ではなく、物質的なその人を見る。
要は決めつけずにありのままの相手を見ようということです。
頭では分かってても、どうしても決めつけで会話してしまうんですよね…。


拙い文章ではありますが、私はこの映画を通して、こんなことを考えてました。
素敵な映画なので皆さんもぜひ見てみてください。

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