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守られて見えなくなること、つながることで見えてくること

カロク採訪記 2022年7月22日 中村大地

プラス・アーツ東京事務所へ

この日は、アーツカウンシル東京の大内さん、李青さん、ニキアンさんと、NOOKは瀬尾さん、磯崎さんと、そこそこの大所帯で、NPO法人プラス・アーツの東京事務所を訪ねた。

NPO法人プラス・アーツ(以下、プラス・アーツと表記する)は、阪神淡路大震災から10年が経つタイミングをきっかけに神戸で生まれたNPO団体で、現在は“防災の楽しさを、世界中のみんなに”を掲げ、「イザ!カエルキャラバン」や、「地震ITSUMO」など、アートやデザイン・建築の視点を用いながら、数多くの防災プログラムを手掛けている。

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東京メトロの駅とかでよく見かけるこのキャラクターもプラス・アーツのデザインのもの。様々な企業や行政と提携しているので、どこかで目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

もともとは神戸で生まれたプラス・アーツが、東京事務所を構えたのが江東区。わたし達もお世話になっている東京アートポイント計画がはじまったころ、共催していた団体の一つでもあるプラス・アーツ。両者が共同してつくったのが洪水・水害をテーマにした紙芝居「おおあめとぼくのゆめ」だそうだ。

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そんなプラス・アーツさんに、お話を聞きに行った。
話をしてくださったのは東京事務所長の小倉さん。はじめに大内さんから東京アートポイント計画と、プラス・アーツの関係の話を伺ったりしているうちに、話は自然と水害の話に。防災教育のなかで大きく水害が取り上げられるようになってきたのはここ5年くらいのことだそう。

守られて実感できなくなる

阪神淡路大震災の経験から生まれた、イザ!カエルキャラバンは、実際に体験した方への聞き取りをもとに生まれたプログラム(詳しくは上記をご覧ください)なのだけれど、水害対策の話は盛り込まなかったそうだ。そうしたリサーチに行っても、水害対策ならではの家庭ごとの対策、暮らしの中の防災の知恵といったものはあまりないらしい。避難所に入ってしまえば地震や津波とそこで起こる困難は変わらないし、確実に被害が出るまでに時間的な猶予のある水害では、“いかに安全に避難するか”が大切なポイントになるそうだ。

とりわけ東京の都市部では、なかなか水害の記録が残っていないという。記録が残ってないというよりそもそも、堤防などのハード面の整備が一通り済んでいて、川の決壊などがこの数十年間ほとんど起きていないそうだ。水害の影響を受けるのは都市部ではなく、整備の行き届いていない郊外の街や、地方。住んでいる街にどれくらいお金がかけられ守られているのか、守られているあいだはなかなか実感することができない。治水施設として、土地の余っていない東京は巨大な地下施設をつくってそこに水を逃がすらしい(首都圏外郭放水路)。ほとんどSFじみていて、それと自分の生活とを結びつけることはなかなかできないな、と思う。どちらかというと、気がついたら、なんかよくわからないけど守られていた、というような。一体どこがどうなったら危なくなるのかといった、そういう生活者としての直感みたいなものが機能しないのでは、と、自分自身日々の暮らしの中で感じている。

令和元年東日本台風(台風19号)があったとき、私は演劇の仕事で仙台に出張に来ていて、泊まらせてもらっていた瀬尾さん小森さんの家で、小さなテレビを瀬尾さんと見ていたことを思い出す。私は、台風が関東の実家を直撃しないかということや、演劇の仕事がその影響で中止になったりとか、身の回りのことばかりを案じていたし、テレビは東京都市部ばかりが中継されていたように思う。夜が明けてみれば、都内の被害はごくわずかなもので、大きな被害にあったのは丸森であったり、長野の山間部であったりして、地方と都心との治水力の大きな差を感じた(この時、都心ではSFじみた地下施設「首都圏外郭放水路」が活躍したそうだ)。

それでも、本当に世界中のあちこちで、もちろん日本でも、これまでの想像を絶するような水害が起こり続けている。江東区の水害ハザードマップは真っ赤に染まっていて、どうやって身を守られているのかもよくわからない街に暮らしていると、もしものことが起こったとき、とんでもない被害が生まれるのではないかとを想像してしまう。

防災の見直しが図られたり、その機運が高まるのはいつも、どこかでなにかの被害が生まれてからだそうだ。そういえば宮城県沖地震があって、ブロック塀が崩れたから、ブロック塀には近づかない、という知見が防災訓練に加わったと聞いたことがある。なにかが起きてからじゃないと意識できないというのはとってもよく理解できるし、ある程度致し方ないことなのかもしれないけれど、同時に少し虚しい気持ちにもなる。本当に、何かが起こらないと私たちは何もできないのだろうか?

不完全な状態で手渡す


プラス・アーツの手掛ける防災プログラムは、コンテンツとしてのユニークさに加えて、それをいかに自治体などの主催者がやり続けられるか、継続可能かということに工夫が凝らされている。

プラス・アーツの仕組みはサイトを見ていただくのが一番いいと思うのでご参照ください。

実施最初の年はしっかり伴走するけれど、プラス・アーツが完全なプログラムを提供するのではなく、自治体の問題意識とすり合わせながら完成させていく、ある種「不完全な形で手渡す」ことを意識しているそう。コロナ禍の影響もあって、オンラインベースで打ち合わせをし、必要な物品を郵送して実施する、と言ったケースもあるのだとか。少し違う例えかもしれないけれど、演劇で演出の仕事をしていると、俳優とのやりとりのなかでこの「不完全な状態で手渡す」というのはとてもしっくりくる。自治体側が与えられたサービスを消費するのではなく、より能動性を持って考え、継続的に関わっていきやすくするための術が、そこにはあるのだと思った。
 たとえば墨田区の一寺言問地区(東京大空襲のなかでも焼け残った地区を含む、長い歴史を持つ自治体)にある、一言会はかなり積極的に防災教育をしているところで、イザ!カエルキャラバンの実施ももう12年になる。もともと地域でやっていた防災教育は、年配の方が主導していたなかで、若者の参加が芳しくないようだったのだけれど、今では年一回の防災訓練をどのようにすすめていくか、コロナ禍でどうやったら実施できるのかということを、地域全体で話し合って決めているのだそう。

「防災まちづくり」というと、コンクリートの建物を建てて、道路を広げれば完成と捉えがちです。しかし、一言会では、被災時には近隣の助け合いも大切という考えから、これまでのまちの歴史の中で培われてきた人付合いや、豊かに生きていくための防災知識を含めた生活文化を世紀を越えて継いでいくことこそ重要と考え、活動を展開して参ります。

という言葉は、一言会のWebページよりお借りしたものだが、前述の事と合わせて言えば、ハード面にまかせるだけでなく、いざという時の横の人のつながり、ソフト面に意識を向けていて、とてもたくましい。自分の暮らす自治体がこうだったらずいぶん心強いだろう。

余談だが、防災に関する知識をひろめるためにSNSなども積極的に活用しているプラス・アーツ。こちらの動画は結構バズったりもしていて、本当に様々な回路を用いて人々に“防災”をリーチしようとする姿勢には、学ぶべきことがたくさんあるなと思った。


10年の時間が必要だった

先述の通り、「イザ!カエルキャラバン」は、阪神淡路大震災の経験をもとに作られた防災訓練のプログラムだ。小倉さんが、実は、と最後にこんな話をしてくれた。

阪神淡路大震災から10年というタイミングで「イザ!カエルキャラバン」そしてそこから、プラス・アーツの活動ははじまりました。それは、防災のことを考えよう、体験者の知恵を反映させた防災を考えようと、地域の方々へ積極的に呼び替えるまでに10年の時間が必要だった、ということでもあります。大切な人や動物、家や財産を失った人に、「防災について考えましょう」とすぐに言いに行くのはやっぱり違う。だから、東日本大震災について触れるのは、タイミングを測っていたところでもあったんです。

なるほど、防災を考えるのにも時間がかかる。一度壊れてしまった街から瓦礫を取り除き、舗装し、嵩上げして新しい街が整った。さて、この街でどうやって暮らしていこうか、を考える段になってようやく、日々の防災について考えることができるようになる。だから、これから東北とのつながりを作りつつ、あらたに東日本大震災の知恵を反映させながら、防災プログラムをブラッシュアップさせていきたい。
当たり前だけれど、防災はこれからもずっと続いていく。10年の節目は終わりではなく、はじまりの区切りとしてある。紹介したいなと思い浮かぶ人が東北に何人もいます、瀬尾さんが言った。
これからそうしたところへつなぐパイプラインとして協力できたらいいし、それだけでなく、引き続き関係を持っていけたらいいなと思った。

中村大地(作家・演出家・屋根裏ハイツ)


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