道が語ること
2022年5月11日 カロク採訪記 中村大地
東京水道歴史館へ
この日は市ヶ谷にある東京都水道歴史館へ。江戸時代から400年に渡る東京都内の治水の歴史が建物二階に分かれて事細かに展示されている。二階の江戸上水のフロアでは、幕府がどのように江戸の街に水道を引き、整えていったのかを、木樋と呼ばれる木製の水道管の実物など、もの資料を交えて解説していく。江戸城が建てられたエリアは、もともとの水質が悪く、上水の確保は大きな課題だった。そういえば、小学生時分に読んだ学習まんが「日本の歴史」に、豊臣秀吉の名で徳川家康がだった広い湿地に立っていた場面があったなと思う。確認してみると、家康は「ここににぎやかな城下町を作るぞ」と部下に気合を入れていた。
その後、江戸幕府が悩まされることとなる飲料水不足において重要な役割を果たしたのが玉川上水。展示では、アニメーションと人形劇で構成される「玉川上水ものがたり」として扱われていて、これがとてもわかりやすくて面白かった。
受付で借りることのできる音声ガイドがとても丁寧で、わかりやすい。ナレーションしている方の声も、テキストも良かった。もし尋ねる際はガイドもあわせて借りることをおすすめします。
混乱の時代の明治
一階にくだると明治以降の近現代水道の歩みが展示されている。上水や水売りといった江戸時代に整えられた水文化は、明治に時代が変わり東京府が設置されたタイミングで混乱する。担当となる所管官庁が4年で8回も変わったというのだから、当然、水質の安全性を確保はおろか、整備することそのものがさぞ困難なことだったろうと想像できる。明治19年にコレラが大流行したことにも、この水道の問題が大きく関連している。その後水道整備の気運が高まり、淀橋浄水場が通水するのが明治31年。それでも水を手に入れられたのは東京府内に暮らしていた100人あたり5人だけというのだから、なんとも凄まじい。
先述の学習まんがには、コレラの流行には不平等条約であった修好通商条約が大きく影響していた、と書いてある。不衛生な水道、外国人の行動を制限することができなかったことなど、一つの流行病にも多様な原因が眠っている。そしてまもなく関東大震災があり、近代都市は一度壊滅する。こうしてみると、“ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする”という言葉で想像していた賑やかな明治の時代は、大きな混乱の時代だったのだとわかる。
この明治の45年の間、人びとの生活はどのようなものだったのか、考えるだけで気が遠くなる。物流としての川もしかり、こうした生活用水の問題もしかり、治水や交通の整備というのは政治のかなり根幹の部分を担っていて、政治が動乱の時代にあっては、こうした“ライフライン”が保証されず、その影響を受けるのは生活をする市民なのだ。
馬水槽は、明治末期にロンドンから寄贈されたものだそうで、ライオンの口からでてくる大きなところは馬用、その下が犬用、裏手に回ると人間用の水飲み場がある。移動手段として馬が用いられていたころの光景はどのような感じだったのだろう。馬が飲み、馬を連れた人が飲める水飲み場。裏側に人間用の飲み水がある感じがとても良かった。
資料の充実≒多すぎて戸惑う
三階の資料室は、かなり充実していて、ここにしかなさそうな資料がたくさんありそうだった。時間がなかったのでざっと見た程度だったけれど、熱心に資料を読み漁り、手元のメモに丁寧に書き写している方もいた。
水道館を出てすぐのところにバラ園があって、色とりどりの花の手入れをしている職員さんと、お昼休憩中らしいオフィスウェアの方々がぼんやり過ごしていた。
午後からはアーツカウンシル東京の担当の方と打ち合わせ。ここまで訪れたところの話などを共有していると、大宮の鉄道博物館に行くのも良さそうだ、という話になる。
戦争の歴史、治水、交通の整備、東京は都内のことに加えて、日本の国としての歩みに対してもいくつも資料館があって、芋づる式に行くべきところがどんどん出てくる。もちろんその文脈は複雑に絡み合っていて、色んな視点から東京を知っていくのは面白いけれど、なにかちゃんと視点を持って取り掛からないと、その充実度に埋もれてしまうな、と思った。
中村大地(作家・演出家・屋根裏ハイツ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?