【レポート】テレビノーク#1
8月18日に、テレビノーク#1がありました。
放送をご覧なりたい方はこちらから👇
今回はゲストに荒川区の治安を守る自称ヒーローでミュージシャンのhonninmanさんをむかえて、7月30日、8月13日におこなったワークショップ「記録から表現をつくる」の話を中心におしゃべりしました。以下、軽く振り返っていきますー。
最初は初日のワークショップで参加者に共有した「記録から表現をつくるとは?」ということについて、パワポを使って瀬尾が説明します。表現物には記録性が含まれてしまうこと、反対に記録をするために表現することが伴うこと、両者の間にはグラデーションがあり、そこに大きな差はなく分かち難いものだ、ということを(大事なことなので)繰り返し言及していました。なんとなーく、表現、という言葉がまとう“高尚で、特定の誰かがやっていて、触れがたいもの”というニュアンスが、誰もができる記録、との距離を生んでいるのかな、と考えたり。
honninman登場
初日には二つのワークショップをしました。ひとつは一つは参加者同士がペアとなって互いの話を聞き、それを一人称視点の文章にして発表するというもの。もうひとつは、課題としてその日に共有した過去の記録物を短時間で無理やり表現にしてみる、というもの。課題となったのは小野和子「あいたくてききたくて旅にでる」と、根岸鎮衛「耳袋」から一部抜粋したもの。そのワークの先例としてhonninmanさんにはワークショップに参加してもらっていたのでした。
ワークショップ当日の耳袋を上演した様子はこちら
この日のテレビノークでは、なぜかインスタグラムの怖い話を稲川淳二調で披露してくれました。気になる内容は是非本編で。
honninmanさんのパフォーマンスのあとは、その後参加者の発表について触れながら、ゆるゆると3人で雑談。同じ題材・記録物であっても、参加者の関心や興味を持ったポイントによって表現が大きく異るところがとても興味深かったね、という話題に。
「ディスカッションでも差は出るけれど、表現・形にするためには、私がどの視点にいるのかということを明確にしなくてはならず、それによって判断やポジショニングが全然変わってくるから、表現をするところまで、思い切ってえいやっ!とやってみることが大事なのかもしれない」とは瀬尾さん。アウトプットまでやってしまうことではじめて他者と共有できることがあり、リサーチすることと表現をセットで考えること(そこには、一度表現したものをフィードバックを受けて作り直す、というプロセスも含まれます)は、「記録と向き合う」うえで重要なのかもしれません。
8月13日にワークショップの参加者と横網町公園・東京都慰霊堂に訪れた日のことを共有(横網町公園についてはこちらのnoteが詳しいです!!)しながら、「よく、こうした大きな出来事に対して、記録をする資格があるのかどうか、というふうに言う方がいるけれど、現場に行って実際にすでにやっている人と話すと、やれることがある。手伝いたいと思ったり、ここでは今やっていない手法を自分が持ち合わせているかもしれないとか、出会ったら関わったら良いというのが判断できると思うんですよね」という話、その一方で、こうした街の複雑な状況を表現として引き受けるときに、複雑さを複雑さのまま引き受けることの難しさについても触れられているのが印象的でした。
さらにhonninmanさんから、オカルトや笑い話にすると、瞬間的に引き付けられる人がいる、といったような、“どのように表象するか”と、話は飛び火しながら巡っていったように思います。
よかったら聞いてみてください👂👂👂
次回予告
次回のテレビノーク#2は、9月23日の20時から。
ゲストに同じNOOKの磯崎未菜を迎えます。
磯崎・瀬尾・中村の3人で主に東京都内のリサーチをしている様子を綴っているカロク採訪記のことなど、ゆるゆるとお話できたらと思います!
当日のリンクはこちら👇
カロク採訪記のアーカイブはこちら👇
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