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桃剥いたった。

彼女が桃を買ってきた。二玉。ふたたま。

僕は包丁で果物を剥いたことがない。
だってみかんやバナナのように「どうぞそのまま、手でいっちゃってください」なんて低姿勢のヘラヘラした奴らがいるのに、わざわざ手間をかけてまで食べようとは思わない。
剥かれて出てきたならありがたくよばれる。剥いてくださった厨房の方と生産者へ感謝の念を飛ばしながら頬張る。その夜は店と岡山に足を向けて眠れない。次に通る軒先では深く一礼をする。桃とはそういう果物だろう。

「桃買ってきてん。美味しそうやって、つい」
彼女はエコバッグから取り出してそのまま冷蔵庫に放り込んだ。

この「つい」が曲者だ。彼女だって桃を剥いたことがないに決まっている。だってブロッコリーを切る姿が手話の「ありがとう」に限りなく近い。
「つい」には「私は剥けないけど」が含まれている。それは同時に「あなたなら容易く剥いてくれるでしょう」という期待でもある。
椎名林檎姐さんが男女のメタファーで歌いそうだ。何だかエッチに聞こえる。

それから数日間、彼女は思い出せば「桃食べる?」と言った。あたしはそれを無視した。
君は桃を綺麗に剥けない期待はずれのあたしを攻めるかもしれない。
適当に相槌をかます傍ら「桃 剥き方」で次々に表示される動画を無音にして片っ端から観ていた。気分は夜神月のポテトチップス・ミニテレビだ。ggrks。

ついにある朝「ねぇ、桃は?」が飛び出した。
これは「ワレ、いつになったら桃剥くんやボケナス」の意。またはその様。

僕は風呂を上がったところだった。二玉の桃尻を放り出したまま、待たせた数日を心で侘びながらクリスチャン・ベールよろしく包丁を握った。今から白い肌を見せ剥かれゆく桃を想い対等でいたかったのかもしれない。寒い。

白いふわふわの網に包まれたそれは果肉がデリケートで柔らかいことを示唆している。
観齧った「青果店直伝」だとか、「包丁の背で産毛を剃って、真ん中に切り込みを入れればするりと剥ける」をいよいよ実践に移す。
丁寧に肌をなぞると確かにほんのりと粉が舞う。頭頂部に切れ目を入れて皮に親指を当てて気が付いた。

全っっっ然むけへん。話ちゃうやんけ。
ただムダ毛を処理しただけで今にも潰れそうな果肉に怯え急ぎまな板へ放るように置いた。
一連の体たらくはベッドで桃待ちの大女優にまだバレていないようだ。ほっ。

さてどうしてやろうか。切れ目を入れて分かったのは中心にこれでもかとデカい種がある。
初心者を笑うな。

アボカドだ。
可食部を包む皮に切れ目をぐるりと一周入れてその身を捻る。胴は種を残して半分に割れ、包丁でサクッと種を叩いたならするりと取れる。これは経験済みだ。なーんだ、おめぇアボカドのそれか。

何で回らんねん。お前アボカドの感じで何で動かへんねん。実が柔らかいからか。柔らかいが故に頑として動かへんのか。おい、何か言えよ。

ベッドの上のお地蔵さんはただ桃のお供え物を待っている。剥けよ自分で。

違うだろ。期待してくれたんだろ。その期待に格好がつくようにコソコソ剥き方まで調べたんだろ。
見ろよ、ベッドに横たわる彼女を。当たり前に桃が綺麗に剥かれて出てくると思ってるんだぜ。いつもは夕食の準備の時、用事もないのにキッチンの周りをうろついてイライラさせるあの子がさ。ただじっとベッドで桃を待っているんだぜ。

剥けよ自分で。

勘のいいガキならお気付きかもしれない。桃は実の部分が姿を表してからの変色がとんでもなく早い。見れば少し黒ずんでいる。

何かどうでもよくなってきた。自分が食べたいわけでもない桃を全裸で切っている。包丁を持っている時に何かどうでもよくなるのは非常にまずい。

僕は思った。きっとこの「どう切ればいいんだろう」という日和った所作が桃に伝わってしまっている。さも剥き慣れているという堂に入る立ち振る舞いで桃もすももも素直になるのではないか。

そこから自分にパティシエを降ろした。見えない高さのある帽子にスカーフ、ただの文化包丁も気分はペティナイフ。お前に時間をかけていられない。大勢の客が待っている。俺の中の梶原善、行こうぜ。

もうぐっちゃぐちゃ。そもそも切れ味の悪い包丁でさ、無理なわけよ。「食べ物で遊ぶな」って育ったからさ筆者。胸も痛いわけさ。

それでも何とか綺麗に見える部分だけをより分けて、引越し直前であらかた処分したせいで気の利いた器もないので大きな丼鉢にサーモンみたいに並べていく。

「出来たよー」の声がけとほとんど同時にフローリングがとてとて響く。覗き込んで「ほぉ」と放つ。
ただ「美味しい」、その一言が聞きたくて。

一番綺麗で大きい果肉を選んで口いっぱいに頬張って彼女は言った。

「よう熟れてますなぁ」

自分で剥けよ。

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