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Rotwelsch~ドイツ語のイカサマ語~

ドイツ語のいかさま語についての紹介。ドイツで昔、詐欺師などの仲間内で話されていた、特定の人にしか通じないような言葉をRotwelschという。以下サイトから取り上げ、まとめたものを紹介する。有料記事部分が下にあるが、学生や知り合いなど、事情がある方は連絡してください。適宜対応させていただきます。

●はじめは見た目を形容したものと考えられる。独断と偏見によってまとめられたものなので適宜深い考察が必要だが、一先ずこういった解釈があるのだということをご理解いただきたい。

Athletenfrühstück=アスリートの朝ごはんといった直訳になるが、これはドイツ語においてはSchmalzstulleにあたり、パンの事を指す。画像検索してもらえば分かるが、バターなどの油が乗ったものになる。ドイツの友達に聞いても聞いたことがなかった=分からなかったらしく、こちらの方でこれ以上の説明ができず申し訳ない。彼に捕捉をしてもらったのだが、Schmalzは脂肪、Stulleはパンを表すため、脂肪多めのパンという事で何とも健康に悪そうである。

Doppelscheinlling=Brille
Doppelはダブル。Scheinは輝くものを指し、-lingは最後についたりしてモノを表したり、人を表したりする。つまり和訳するとダブルきらきら(ちゃん)。まあ説明されると分からなくはないが、いきなり初対面の人にこのようにメガネを言われても分からない自信がある。

Fulminantes=Streichholz
fulminantが「卓越する」や「りっぱな」のような意味を持っていて、-esが中性名詞につく形態素な気がするが、その場合はs.Holzが後ろに隠れている気がする。Streichholzは「擦る棒」ということでマッチなので、「すげえもの」=マッチとするのは面白い。

Gewittertulpe=Helm(雷雨チューリップ=鉄兜)
西洋の鎧の鉄兜は確かに言われてみればチューリップに似ている気がする。Gewitterの部分は想像がつかないので問題だが、爆発などの意味ももっている為、恐らくはこういったものを防ぐ兜といったような意味合いなのだろうか。

Grünadel=Waldhüter(緑貴族=森林の番人)
森林監督官という言葉があるが、この職業を表すために緑の貴族という揶揄を用いているのは興味深い。揶揄なのかすら分からないが、森の中にいればなんとなく緑っぽいということも納得がいく。

Holderkauz=Huhn(ニワトコフクロウ=ニワトリ)
Kauzは凶鳥とされているらしい。ニワトコの木に留まるフクロウがどのような経緯でニワトリを指すことができるようになったのか気になるが、鳥類というところは共通している。商売にニワトリを使うこともありそうなので、隠語を作ることにも納得がいく。

Lehm und Stroh=Erbsenbrei und Sauerkraut(土と藁=つぶしエンドウとザウアークラウト)
見た目のことを言っているのだろうか。Lehmは「関東ローム層」で使うようなロームを意味するらしく、粘性のある土のことを指すらしい。Erbsenbreiはおかゆの事も指すようであるから、見た目の形容をしていると考えることができる。藁とザウアークラウトが似ているということは、ドイツ語学習者なら分からんでもないだろう。

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●次はイディッシュ語起源と考えられるもの。Rotwelschとはいえ、ユダヤ人がこういった職業に就いて使っていただろうことも考えられる。ならば、イディッシュ語にもあった言葉を輸入して用いていたことも当然考えられるだろう。当時イディッシュ語については興味がある学生だったため、随時イディッシュ語ドイツ語辞典を参照してそうと推測できるものを2点挙げた。勿論、イディッシュ語に似た語彙が存在するというだけで確証はもてないが、一見の価値はあるものと思われる。

Emmes=Treffpunkt(nach einem Diebstahl) Emmes=(盗みの後の)集合場所
解説が必要であろう。イディッシュ語には、Emeßという語が存在する。これは「真実」といった意味を持つ。「エメスはどこどこだ」と言った際には、「真実は○○だ」という事になるが、隠語としては「ここに集まれ」といった機能を有することが可能であるだろう。

koscher=unverdächtig(コシャ=疑いのない)
これを理解するのには一滴の教養が必要だが、心得ている人には何も説明の必要はあるまい。kosher(コシャ)とは、ユダヤ教において食べるのが許されている食べ物だ。具体的には蹄の割れている牛のような生き物だったり、その基準は複雑だが、ともかくイスラム教におけるハラールのような制限のある食べ物のことを言う。イディッシュ語においてもkoscherは「許された」や「純潔な」といった意味をもち、これが「疑いのない」を意味するようになったのは想像に難くない。

●最後は言葉遊びによるものだ。
当時の自分がこれをどうあって言葉遊びだと判定したのか定かではないが、それを繙いていくのも一つの楽しみである。

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