見出し画像

心臓音で残す「ここに生きた証」と余白が連れてくるもののこと

瀬戸内の豊島に、自分の心臓音を記憶しに行ってきた。

豊島に心臓の音を保存しにいってきました。
「生きた証」として心臓音をアーカイブするプロジェクトで、世界中の人から蒐集した心臓音を恒久的に保存し美術館内で聴くことができます。名前しか知らない誰かの心臓音に包まれる感覚不思議だった…自分の心臓音は収録してブックレットとして持ち帰る事も🗒

心臓音のアーカイブ: https://benesse-artsite.jp/art/boltanski.html

...と、あたかも「これが目的で行った」風を装っているのだけれど実はこのアートプロジェクト「心臓音のアーカイブ」とは道端でばったりと偶然に出会っただけで、これをしにわざわざ行ったわけではないのです。
ごめんなさい。

画像1

というか基本的に私は、どこか旅へ出かける時下調べを一切しない。自分でも気持ち良いくらいにしない。だから初めて友達にガイドブックを見せてもらった時はとにかく「これ、欲しい情報全部乗ってる!」と痛く感動したのを今でも覚えている。

それでも頑なに下調べをしないので、豊島も例に漏れず丸腰で上陸した。
(といっても島へ上陸する時は帰ってこれなくなったら困るので、帰りの船くらいは流石に調べるけれど)

ちなみに海外に至っては「国の名前がなんか噛み心地が良くて好き」というはちゃめちゃな理由で航空券を取り、訪れた場所もたくさんある。恐ろしい。(破天荒にもほどがあるから、30代になった今はちゃんと治安を調べてから訪れるようになった)


画像2

だけれど今回この豊島に関しては名前が気に入ったわけでも、ピンときたわけでも、もちろん見たい物があった訳でもなく、とにかく「なんとなく」訪れた。
なんなら最初瀬戸内を訪れたときには豊島にいく予定なんて全くなくて、なのにふいに「あれ...なんか....。豊島に行こうかな?」とふと前日に思い立ち、訪れることになった。

今回の旅は仕事をかねていたので、どこかに写真は撮りに行かないといけなかったのだけれども、それでも当日の朝も「もし寝坊したら行かなくて良いか」くらいに構えていたし、なんなら今日の予報は曇りで「曇りの日に島か...」と最後まで自分の中の自分たちと豊島上陸はありなのか、なしなのか、攻防戦を繰り広げていた。

だけれどなぜか今日、わたしは結果豊島にまんまと朝の9時半に上陸し、2つあった港のうち、たまたま降りた方の港で、たまたま見つけた看板を辿り、「あっちにも展示があるからね〜」とたまたま通りかかった可愛いお婆ちゃんが教えてくれて、そうして出会ったのがこの心臓音のアートプロジェクト「心臓音のアーカイブ」だった。


画像3

建物からはなんだか禍々しい気を感じ最初は入るのを躊躇したのだけれど、ハートルームと呼ばれる世界中から集められた心臓音が響き渡る真っ暗な部屋に入ったときに、「ああ、このために今回は豊島だったのか」とストンと納得した。

心臓音には国名と名前しか記載がされておらず、それが真っ暗な部屋中で鳴っている。目を瞑ると、その人に寄り添っているような感覚にもなったし、同時に顔もしらないその人の体の中の、なんだか血液にでもなってしまったような気もした。
現在この人は元気なんだろうかとか、どういう思いでこの心臓音を録音したのだろうとか、いろいろな思いが心の中で混ざり合って、切ないような嬉しいような、のぞいてはいけない秘密の扉を盗み見ているような、変な高揚感に包まれた。

部屋を出てから、私自身も自分の心臓音を録音し、自分が今生きている証をこの小さな美術館に残していくことにした。

録音したものはいつか、どこかのタイミングであのハートルームで響き渡るかもしれない。名前も知らない誰かが、特別な人しか聴いたことのない私の心臓音を聴いてくれるのだ。なんだかはずかしい。

Thank you for listening by chance.(たまたま聴いてくれてありがとう)
と、正解か不正解か怪しい英語を録音した心臓音の横にタイピングする。

最後はそれをCDに焼いてくれて、ブックレットとして持ち帰らせてくれた。


画像4

自分の心に逆らわず、余白を怖がって埋めずにいると、ふいにこういう出会いを引き寄せてくれる。
多分この出会いは今のわたしにとって必要なものだったと思うし、事前に調べてきていたら、また違うものになってしまっていた気もする。

旅に余白を持つこと。あえて隙間をあけることは、必要なことなのだと思う。
私がガイドブック片手に旅するのは、まだまだ先のことになりそうだ。



いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。