クレクレ星人と母の日
今日は母の日。
娘から母の日のプレゼントが届いた。
いつもしてやるばかりではあるが、思い返してみると少ない小遣いの中から母の日はあれこれ私にプレゼントしてくれる。
人はいつから大人になるのか考えてみるが、恐らくそれは自分が何かを人にできる時からだろう。
taker.からgiverになった時、大人になったと言える。
世の中にはtakerが多いと感じる。
何かしてもらう、無料のものは絶対もらう。
ご飯を用意してもらって当たり前。
部屋を綺麗に整えてもらうのは当たり前。
サービスは受けて当たり前。
困った時は助けてもらうのは当たり前。
それに対してgiverは少ないと感じる。
何か人が喜ぶことをできるのがgiver。
でも私が少ないと感じるのはもしかしたら自分がguverではないからかもしれない。
娘や息子にはあれこれしてきたつもりだ。
今だって娘には年あたりバカにならないほどの学費を払い、また仕送りもしている。私の手取り年収の約60%が彼女の学生生活に費やされているのだけど、義務教育ではないのだからこんなにも払わなくていいお金なのかもしれない。
(世の中の皆さん、きっと歯を食いしばって払ってますよね、教育費)
これだけ払っているのだから『母の日ぐらいあなたも何か私にしてよね』と思ってる私もどこかにいる。
そう、完全に無償の愛ではないんだろう。
というか未だに私がtakerなんだと思う。
何もお金だけが与えられるものではないし受け取るものではない。
でも一番それが目に見えやすい。
娘からのプレゼントを前に今日はそんなことを考えた。
私もtakerでありたい。
今日はピアノのレッスン。
Bachのシンフォニア2番、合格頂いただいたので収録した。
収録したものを聞いてみるとなんか子供が弾いてるピアノみたい。
情緒的なものが何もなく(自分ではあれこれ伝えようとイメージしながら弾いてるけど)それが全然音に表れない。
素敵なバッハね。
といつか聴いた人に言ってもらえるよう精進していこう。
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