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「あの頃の吃音は、ホント苦しかったな~」という話

私の吃音は、中学生にさかのぼります。

当時、国語の本読みがあたり、読み始める時にめちゃくちゃどもってしまいました。

クラスは大爆笑でした。その大爆笑をかき消すように僕は本を読み進めました。

私の吃音は、最初どもってもしゃべり始めるとそのまましゃべることが出来ます。

いろいろな種類の吃音があるようですが、この程度の吃音はある意味ラッキーかもしれません。

その本読み以降少し悩んだことはありますが、毎回どもるわけでもなく、それほど囚(とら)われることもなく高校、大学と進学し就職も普通に出来ました。

このことから私の吃音は、体の機能的なものではなく精神的なものだと考えられます。

就職した会社では、サービス業の営業の仕事に就きました。当然ながら電話を使っての仕事があります。

入社してしばらくは問題なかったのですが、少しずつどもるようになり、自分でも気になるようになりました。

何年か掛けて自分に吃音が定着したという感覚です。

私の苦しさは、とにかく電話です。

吃音の人ならよく聞く話ですが、言いにくい言葉を言い換えるという行為があります。

私の囚われは、会社名や自分の名前なので言い換えが出来ないんです。

サービス業なので率先して電話を取る必要があります。しかも当時は、小さなグループの責任者をする立場でもあったので、自分の部下に「電話を率先して取るように」と指示を出す必要があります。

これがきつかったです。

自分では出来ないことを部下に指示を出すことは、きついです。

これも吃音あるあるだと思いますが、私は普段はある程度普通に話せるので、自分の吃音を隠せることが出来ました。

もしも自分が吃音であることが、会社の皆にばれたらどうしよう。逆にそれを隠すのに必死でした。

「会社に知られたら私の会社生活が終わってしまう」という恐怖です。いつも何かに追われているような感覚。サスペンス映画の主人公になった気分でした。

営業なので比較的外出が多く、外出している時はいいのですが、社内で事務作業をしている時は生きた心地がしませんでした。

ごくたまにお客さんからクレームがあってお客さんのところに出向いてお詫びに行くことがありました。社内にいてそのクレームの呼び出しがかかると、変な意味ですが「外出出来てよかった~」と思っていました。

それほど社内での事務作業が苦痛でした。

時々トイレに逃げて自分の脈拍を計ると、結構速かったことを覚えています。

そんなに仕事がしんどかったのですが、土日は完全に休めていました。夜も普通に寝ていました。

こんなにしんどい思いをしながらよくも体調は崩さないものだなと、自分の体の強さに感心していました。

駅のホームに立ちながら「ここで飛び込んでしまうと楽になれるのかな~。生きるってきついことだよな~。」と考えていました。

睡眠時間は普通にとっていましたが、起きている時間はほぼ自分の吃音のことを考えていました。

その合間に仕事をやっていたので、やはりパフォーマンスがいい訳ありません。

そんな悩みの多かった私が、よくここまで生きていたなと思います。

その後もうつになるなど紆余曲折はありましたが、会社も辞めずに勤務しており、何とか元気にやっています。

当時悩みぬいた吃音もほぼ治っています。

駅のホームに立つと「寒いから早く電車来てくれ」と思っています。

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