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思えば3歳からずっと努力をしている。

こんなタイトルをつけてしまったが、当の本人は「努力」だなんて思っていない。

私は3歳から(か、4歳から)、公文で英語学習をはじめた。
別に、親に強制されたわけではない。完全に、私の意思だった。

何でかわからないが、物心ついたときから「海外」「異文化」に興味があった。
私の両親は、他の家庭もやっているように、私にこどもちゃれんじをさせてくれたのだが、その教材ではじめて「英語」に出会った。


単純にびっくりした。
日本語じゃない言語がある。
海の向こうには、日本語じゃない言語を話す人たちがいて、目の色や肌の色が違って、そして独自の文化を持つ……


実際に海外にいる今でも、この事実は私をとてもわくわくさせてくれる。

そして何より、「英語」を話せるようになれば、そんな自分とぜんぜん違う人たちとつながれるんだ、なんて素晴らしいんだ…!!!となったわけだ。


それから私は両親に「英語を習いたい!!」と懇願するわけである。


私の願いを聞き入れた父は早速、家の近くにあった公文の教室に体験学習に連れて行ってくれた。
ちなみに、体験学習の予約(?)をする前に父に聞かれた質問、未だに覚えている。
「ピアノと英語、どっちがやりたいんだ?」
(※当時、ピアノも習いたいと言っていた)

多分、両親でかなりもめたか、話し合ったんじゃないかなぁ、、
わざわざリビングがある1階から2階に移動させられて、父の部屋で聞かれた。雨が降っていた日の午後だと思う。暗かった記憶がある。


私は迷わず「英語!A,B,C…(るんるん)」って即答した記憶がある。
(ちなみにピアノも数年後に習い始めるのだが、笑)


そしてその日か、別日かは忘れてしまったけど、無事に公文の無料体験学習に行くことになった。
はじめて教室に行って、当時の英語教材であるE-masterから聞こえた「Dog, Cat, mouse, rabbit」の4単語と、先生が「聞こえる?」って優しく聞いてくれたこと、未だに覚えている。こどもちゃれんじでも英語聞いてたはずなのに、ものすごく感動した記憶がある(だから未だに鮮明に覚えているんだろうけど)


英語学習、公文を選んでくれた父には大変感謝している。
母は英会話でもいいんじゃない?と言っていたようだが、今の私があるのは間違いなく、公文のおかげだ。


夢だった英語学習が始まって本当に嬉しかった私は、それはもう夢中になって勉強した。というか、文章にすると「勉強した」としか書きようがないんだけど、私の感覚からしたら夢中になって「教材を進めていた」というのが正しい。勉強だなんて思ったこと、一度も無かった。


小学校1年生になる頃には公文でいうG教材、つまり中学英語(Be動詞とか、文法学習)を習い始めていた。

文章が作れるようになったり、長い文章やストーリーを読めるようになって、さらに楽しくなった。日頃英語で話す相手なんていないから、小学校のALTの先生に果敢に話しかけたり、修学旅行で外国人を見かけたらここぞとばかりに話しかけに行っていた。(変人)


中学校に上がる頃には確か、高校レベルの教材で、とにかく文章を読み込み、そしておなじだけ英語を聞いていたと思う。ガリバー旅行記とか、不思議の国のアリスとか、最後の一葉とか。とっても楽しかった。


もちろん、いいことだけじゃなかった。
一番ネックだったことは、中学レベル教材を学習していたとき。
小学校低学年の私は、まず読める漢字が少ない。
でも、文法を学習し始めるタイミングだったので、どうしても説明文には漢字がたくさん出てくる。
最初のうちは意味がわからなくて、いちいち先生に聞きに行っていたけど、そんなの毎回やるのは面倒。
ということで、例文を見ながら「なんとなく」プリントを進めることにしてしまった私。(「感覚英語」の始まり)

当然、文法の「ルール」をちゃんと学習しないで「感覚」で問題を解いちゃっていたから、たくさん×をもらった。
ご存じのかたもいらっしゃるかと思うが、公文は「全部百点になるまで帰れない」。でも私は説明を理解せずに問題を解いちゃっているから、なぜ×なのか、何が違うのかがわからない。
なんなら全×まで食らうようになった。ここまで来たら、さすがに私も英語が嫌いになった。


毎回公文に行くのが嫌になった。
学校が終わって公文に行くのが4:30頃。そのあと英語と数学をやって、英語は全部×で返ってきて、それが6:30とか7:00。そっからとりあえずわかんなくて泣いて。泣いて。泣いて……「今日何時になったら帰れるんだろう…」って思ったらさらに悲しくなって、泣いて…(ただの泣き虫笑)


いつも教室を出るのは誰よりも遅かった。9時過ぎなんて当たり前。
母曰く、時には先生から「Nonちゃん泣き疲れて寝ちゃったので、お迎えに来てくれませんか?」という電話をもらったこともあるらしい。
とにかく、行く度に毎回泣いていた時期があった。


でも母は厳しかったら、どんなに「今日は行きたくない!」って言っても許してくれなかったし、「もう英語やめたい」って言っても、「I教材(中学課程レベル)が終わるまでは辞めないって約束だったでしょ」って言われた。(絶対そんな約束してない笑)
お母さん英語なんて私よりわかんないくせに!I教材の難しさなんて知らないくせに!なんでだよ!ってめっちゃ思ってた。


とにかく、やめさせてもらえなかったので、やらざるを得なかった。
それで、なんとかI教材まで終えた私は、「よっしゃ~!約束のI教材終わったからもう公文の英語なんてやめてやる!!」って思っていたの。

でも、その次の教材であるJ教材からは、それまでとは異なってもうずっとストーリーを読んでいくの。世界的に有名な本とか。
つまり、今までみたいに「今日から新しく「仮定法」をまなぶぞ!」みたいな、新出の文法がなくなったのだ。

その結果、英語で物語を読むこと、英語を聞くこと、音読すること、純粋にこの三つを楽しめるようになり、英語を辞めることなく、高校1年生の春、最終教材を終えるまで公文での英語学習を続けることが出来たのです。

とにかく、公文の英語のおかげで私は「何があっても諦めない力」を身につけることが出来た。そして、何より英語が本当に大好きになったし、ちょっと耳がいいことも相まって、めっちゃ発音褒められるようになった(今でもそう。アメリカ人のクラスメイトに発音認めてもらえたのは今でも自信になってる!)


あとはそれ以外にも、中学時代の私にとって学校の英語の授業は「復習」だった(感覚英語だったのが、ちゃんと矯正された笑)
英語の勉強にそこまで時間を割かなくてよかったことは、とても大きかった。その分他の科目に時間を割いて勉強できた。高校は、県内でも有名な進学校に進むことが出来た。そしてそこでは、私のパーソナリティを大きく変えてくれた、大好きな部活とその同期に出会うことが出来ている。


高校からはもう公文を卒業したので(10年以上通ってたからもう主みたいな気持ちだった)(老害過ぎる笑)、それ以降の英語学習は本当に、学校から与えられた物、つまり大学受験用の勉強だった。

大学に入学してからは、長年だった留学のために必要だったIELTSのスコア取得のために独学で英語を勉強した。


そして今、カナダに来てからも、英語まだまだだなぁと思って、空き時間に勉強している。


とまあ、こんな感じで、私の英語学習歴は、歴だけ見ればもう20年くらいなんだよなぁ(それにしては全然話せていない笑)

でも、英語を「勉強している」って感覚になったのは、正直言って高校以降だと思う。それまでは、英語は私の中で完全に「趣味」だった。

何でもそうだけど、「好きこそ物の上手なれ」、だねぇ~






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